と云う。……描ける花和尚《かおしょう》さながらの大入道、この人ばかりは太ッ腹の、あぶらぼてりで、宵からの大肌脱《おおはだぬぎ》。絶えずはたはたと鳴らす団扇《うちわ》[#「団扇」は底本では「団扉」]づかい、ぐいと、抱えて抜かないばかり、柱に、えいとこさで凭懸《よりかか》る、と畳半畳だぶだぶと腰の周囲《まわり》に隠れる形体《ぎょうてい》。けれども有名な琴の師匠で、芸は嬉しい。紺地の素袍《すおう》に、烏帽子《えぼし》を着けて、十三|絃《げん》に端然《ちゃん》と直ると、松の姿に霞《かすみ》が懸《かか》って、琴爪《ことづめ》の千鳥が啼《な》く。
「天井を御覧なさい、変なものが通ります。」
「厭《いや》ですね。」と優しい声。
当夜、二人ばかり婦人も見えた。
これは、百物語をしたのである。――
会をここで開いたのは、わざと引手茶屋を選んだ次第では無かった。
「ちっと変った処で、好事《ものずき》に過ぎると云う方もございましょう。何しろ片寄り過ぎますんで。しかし実は席を極《き》めるのに困りました。
何しろこの百物語……怪談の会に限って、半夜は中途で不可《いけ》ません。夜が更けるに従って……というのですから、御一味を下さる方も、かねて徹夜というお覚悟です。処で、宵から一晩の註文で、いや、随分方々へ当って見ました。
料理屋じゃ、のっけから対手《あいて》にならず、待合申すまでも無い、辞退。席貸をと思いましたが、やっぱり夜一夜《よっぴて》じゃ引退《ひきさが》るんです。第一、人数が二十人近くで、夜明しと来ては、成程、ちょっとどこといって当りが着きません。こりゃ旅籠屋《はたごや》だ、と考えました。
これなら大丈夫、と極めた事にすると、どういたして、まるで帳場で寄せつけません、無理もございますまい。旅籠屋は人の寝る処を、起きていて饒舌《しゃべ》ろうというんです。傍《はた》が御迷惑をなさる、とこの方を関所破りに扱います、困りました。
寺方はちょっと聞くと可《い》いようで、億劫《おっくう》ですし、教会へ持込めば叱られます。離れた処で寮なんぞ借りられない事もありませんが――この中にはその時も御一所で、様子を御存じの方もお見えになります、昨年の盆時分、向島の或《ある》別荘で、一会催した事があるんです。
飛んだ騒ぎで、その筋に御心配を掛けたんです。多人数一室へ閉籠《とじこも》って、徹夜で、密々《ひそひそ》と話をするのが、寂《しん》とした人通《ひとどおり》の無い、樹林《きばやし》の中じゃ、その筈《はず》でしょう。
お引受け申して、こりや思懸けない、と相応に苦労をしました揚句《あげく》、まず……昔の懺悔《ざんげ》をしますような取詰め方で、ここを頼んだのでございます。
言訳を申すじゃありませんが、以前だとて、さして馴染《なじみ》も無い家《うち》が、快く承わってくれまして、どうやらお間に合わせます事が出来ました。
ちと唐突《だしぬけ》に変った誂《あつら》えだもんですから、話の会だと言いますと、
(はあ、おはなの……)なんてな、此家《ここ》の姉御《あねご》が早合点《はやがってん》で……」
と笑いながら幹事が最初|挨拶《あいさつ》した、――それは、神田辺の沢岡という、雑貨店の好事《ものずき》な主人であった。
四
連中には新聞記者も交《まじ》ったり、文学者、美術家、彫刻家、音楽家、――またそうした商人《あきんど》もあり、久しく美学を研究して、近頃欧洲から帰朝した、子爵《ししゃく》が一人。女性《にょしょう》というのも、世に聞えて、……家《うち》のお三輪は、婦人何々などの雑誌で、写真も見れば、名も読んで知った方。
で、こんな場所は、何の見物にも、つい足踏《あしぶみ》をした事の無いのが多い。が、その人たちも、誰も会場が吉原というのを厭《いと》わず、中にはかえって土地に興味《おもしろみ》を持って、到着帳に記《つ》いたのもある。
「吉野橋で電車を下りますまでは無事だったんですよ。」
とそれについて婦人の一人、浜谷蘭子《はまやらんこ》が言出すと、可恐《おそろし》く気の早いのが居て、
「ええ、何か出ましたかな。」
「まさか、」
と手巾《ハンケチ》をちょっと口に当てて、瞼《まぶた》をほんのりと笑顔になって、
「お化《ばけ》が貴下《あなた》、わざわざ迎いに出はしませんよ。方角が分りませんもの。……交番がござんしたから、――伺いますが、水道尻はどう参りましょうかって聞いたんです。巡査《おまわり》さんが真面目《まじめ》な顔をして、
(水道はその四角《よつかど》の処にあります。)って丁寧に教えられて、困ったんです。」
「水を飲みたくって、それで尋ねたんだと思ったんでしょうよ。」とその連《つれ》だったもう一人の、明座種子《あかざたねこ》が意気な姿で、そして膝
前へ
次へ
全25ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング