めく白い素足で、畳触《たたみざわ》りを、ちと荒く、ふいと座を起《た》ったものである。
 待遇《あいしらい》に二つ三つ、続けて話掛けていたお才が、唐突《だしぬけ》に腰を折られて、
「あいよ。」
 で、軽く衣紋《えもん》を圧《おさ》え、痩《や》せた膝で振り返ると、娘はもう、肩のあたりまで、階子段《はしごだん》に白地の中形を沈めていた。
「ちょっと、」……と手繰って言ったと思うと、結綿《ゆいわた》がもう階下《した》へ。
「何だい。」とお才は、いけぞんざい。階子段の欄干《てすり》から俯向《うつむ》けに覗《のぞ》いたが、そこから目薬は注《さ》せなそうで、急いで降りた。
「何だねえ。」
「才ちゃんや。」
 と段の下の六畳の、長火鉢の前に立ったまま、ぱっちりとした目許《めもと》と、可愛らしい口許で、引着けるようにして、
「何だじゃないわ。お気を着けなさいよ。梅次|姉《ねえ》さんの事なんか言って、兄さんが他《ほか》の方に極《きまり》が悪いわ。」
「ううん。」と色気の無い頷《うなず》き方。
「そうだっけ。まあ、可《い》いやね。」
「可《よ》かない事よ……私は困っちまう。」
「何だねえ、高慢な。」
「高慢じゃないわ。そして、先生と云うものよ。」
「誰をさ。」
「皆さんをさ、先生とか、あの、貴方《あなた》とか、そうじゃなくって。誰方《どなた》も身分のある方なのよ。」
「そうかねえ。」
「そうかじゃありませんよ。才ちゃんてば。……それをさ、民さんだの、お前《ま》はんだのって……私は聞いていてはらはらするわ、お気を注《つ》けなさいなね。」
「ああ、そうだね、」
 と納得はしたものの、まだ何《なん》だか、不心服らしい顔色《かおつき》で、
「だって可《い》いやね、皆さんが、お化《ばけ》の御連中なんだから。」
 習慣《ならわし》で調子が高い、ごく内《ない》の話のつもりが、処々、どころでない。半ば以上は二階へ届く。
 一同くすくすと笑った。
 民弥は苦笑したのである。
 その時、梅次の名も聞えたので、いつの間にか、縁の幕の仮名の意味が、誰言うとなく自然《おのず》と通じて、投遣《なげや》りな投放《むすびばな》しに、中を結んだ、紅《べに》、浅葱《あさぎ》の細い色さえ、床の間の籠《かご》に投込んだ、白い常夏《とこなつ》の花とともに、ものは言わぬが談話《はなし》の席へ、仄《ほのか》な俤《おもかげ》に立っていた。
 が、電燈《でんき》を消すと、たちまち鼠色の濃い雲が、ばっと落ちて、廂《ひさし》から欄干《てすり》を掛けて、引包《ひッつつ》んだようになった。
 夜も更けたり、座の趣は変ったのである。
 かねて、こうした時の心を得て、壁際に一台、幾年にも、ついぞ使った事はあるまい、艶《つや》の無い、くすぶった燭台《しょくだい》の用意はしてあったが、わざと消したくらいで、蝋燭《ろうそく》にも及ぶまい、と形《かた》だけも持出さず――所帯構わぬのが、衣紋竹《えもんだけ》の替りにして、夏羽織をふわりと掛けておいた人がある――そのままになっている。
 灯《あかり》無しで、どす暗い壁に附着《くッつ》いた件《くだん》の形は、蝦蟆《がま》の口から吹出す靄《もや》が、むらむらとそこで蹲踞《うずくま》ったようで、居合わす人数の姿より、羽織の方が人らしい。そして、……どこを漏れて来る燈《ともしび》の加減やら、絽《ろ》の縞《しま》の袂《たもと》を透いて、蛍を一包《ひとつつみ》にしたほどの、薄ら蒼《あお》い、ぶよぶよとした取留《とりとめ》の無い影が透く。

       三

 大方はそれが、張出し幕の縫目を漏れて茫《ぼう》と座敷へ映るのであろう……と思う。欄干下《らんかんした》の廂《ひさし》と擦れ擦れな戸外《おもて》に、蒼白い瓦斯《がす》が一基《ひともと》、大門口《おおもんぐち》から仲の町にずらりと並んだ中の、一番末の街燈がある。
 時々光を、幅広く迸《ほとば》しらして、濶《かッ》と明るくなると、燭台《しょくだい》に引掛《ひっか》けた羽織の袂が、すっと映る。そのかわり、じっと沈んで暗くなると、紺の縦縞が消々《きえぎえ》になる。
 座中は目で探って、やっと一人の膝、誰かの胸、別のまた頬《ほお》のあたり、片袖《かたそで》などが、風で吹溜《ふきたま》ったように、断々《きれぎれ》に仄《ほのか》に見える。間を隔てたほどそれがかえって濃い、つい隣合ったのなどは、真暗《まっくら》でまるで姿が無い。
 ふと鼠色の長い影が、幕を斜違《はすっか》いに飜々《ひらひら》と伝わったり……円さ六尺余りの大きな頭が、ぬいと、天井に被《かぶ》さりなどした。
「今、起《た》ちなすったのは魯智深《ろちしん》さんだね。」
 と主《ぬし》は分らず声を懸ける。
「いや、私《わし》は胡坐《あぐら》掻《か》いています、どっしりとな。」
 とわざ
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