なさい。」と花和尚、この時、のさのさと座に戻る。
「お茶を入れかえて参ります。」
 と、もう階子《はしご》の口。ちょっと留まって、
「そして才ちゃんに、御馳走をさせましょうね。兄さん、(吃驚《びっくり》したように)……あの、先生。」
「心得たもんですな。」と洋画家が、煙草《たばこ》の濃い烟《けむり》の中で。
「貴女方《あなたがた》の御庇《おかげ》です……敬意を表して、よく小老実《こまめ》に働きますよ。」と民弥が婦人だちを見向いて云う。と二人が一所に、言合わせたように美しく莞爾《にっこり》して、
「どういたしまして。」
「いや、事実ですよ……家はこんなでも、裁縫《おはり》に行《ゆ》く先方《さき》に、また、それぞれ朋《とも》だちがありましてな、それ引手茶屋の娘でも、大分|工合《ぐあい》が違って来ました。どうして滅多に客の世話なぞするのじゃありませんや。貴女がたの顔まで、ちゃんと心得ていて、先刻《さっき》も手前ちょっと階下《した》へ立違いますと、あちらが、浜谷さんで、こちらが、明座さんでしょう、なんてそう言います。
 廓《くるわ》がはじめてだってお言いなさったのを聞いたと見えて、御見物なさいませんか、お供をして、そこいら、御案内をしましょう、と手前にそう言っていましたっけ。」と団扇《うちわ》を構えて雑貨店主。
「そう、まあ……見て来ましょうか。」
「ねえ。」と顔を見合わせた。
 子爵が頭《かぶり》を振りながら、
「お止《よ》しなさい、お揃いじゃ、女郎《じょろ》が口惜《くや》しがるでしょう、罪だ。」

       六

「なぜですか。」
「新橋、柳橋と見えるでしょう。」
「あら、可厭《いや》だ。」
「四つ、」
 と今度は、魯智深が、透かさず指を立てて、ずいと揚げた。
 すべてがこの調子で、間へ二ツ三ツずつ各自《めいめい》の怪談が挟まる中へ、木皿に割箸《わりばし》をざっくり揃えて、夜通しのその用意が、こうした連中に幕の内でもあるまい、と階下《した》で気を着けたか茶飯の結びに、はんぺんと菜のひたし。……ある大籬《おおまがき》の寮が根岸にある、その畠に造ったのを掘たてだというはしりの新芋。これだけはお才が自慢で、すじ、蒟蒻《こんにゃく》などと煮込みのおでんを丼《どんぶり》へ。目立たないように一銚子《ひとちょうし》附いて出ると、見ただけでも一口|呑《の》めそう……梅次の幕を正面へ、仲の町が夜の舞台で、楽屋の中入《なかいり》といった様子で、下戸《げこ》までもつい一口|飲《や》る。
 八畳一杯|赫《かッ》と陽気で、ちょうどその時分に、中びけの鉄棒《かなぼう》が、近くから遠くへ、次第に幽《かす》かになって廻ったが、その音の身に染みたは、浦里時代の事であろう。誰の胸へも響かぬ。……もっとも話好きな人ばかりが集ったから、その方へ気が入って、酔ったものは一人も無い。が、どうして勢《いきおい》がこんなであるから、立続けに死霊《しりょう》、怨霊《おんりょう》、生霊《いきりょう》まで、まざまざと顕《あらわ》れても、凄《すご》い可恐《こわ》いはまだな事――汐時《しおどき》に颯《さっ》と支度を引いて、煙草盆《たばこぼん》の巻莨《まきたばこ》の吸殻が一度|綺麗《きれい》に片附く時、蚊遣香《かやりこう》もばったり消えて、畳の目も初夜過ぎの陰気に白く光るのさえ、――寂しいとも思われぬ。
(あら可厭だ)……のそれでは無い。百万遍の数取りのように、一同ぐるりと輪になって、じりじりと膝を寄せると、千倉ヶ沖の海坊主、花和尚の大きな影が幕をはびこるのを張合いにして、がんばり入道、ずばい坊、鬼火、怪火《あやしび》、陰火の数々。月夜の白張《しらはり》、宙釣りの丸行燈《まるあんどう》、九本の蝋燭《ろうそく》、四ツ目の提灯《ちょうちん》、蛇塚を走る稲妻、一軒家の棟を転がる人魂《ひとだま》、狼の口の弓張月、古戦場の火矢の幻。
 怨念《おんねん》は大鰻《おおうなぎ》、古鯰《ふるなまず》、太岩魚《ふといわな》、化ける鳥は鷺《さぎ》、山鳥。声は梟《ふくろ》、山伏の吹く貝、磔場《はりつけば》の夜半《よわ》の竹法螺《たけぼら》、焼跡の呻唸声《うめきごえ》。
 蛇ヶ窪の非常汽笛、箒川《ほうきがわ》の悲鳴などは、一座にまさしく聞いた人があって、その響《ひびき》も口から伝わる。……按摩《あんま》の白眼《しろめ》、癩坊《かったい》の鼻、婆々《ばばあ》の逆眉毛《さかまつげ》。気味の悪いのは、三本指、一本脚。
 厠《かわや》を覗《のぞ》く尼も出れば、藪《やぶ》に蹲《しゃが》む癖の下女も出た。米屋の縄暖簾《なわのれん》を擦れ擦れに消える蒼《あお》い女房、矢絣《やがすり》の膝ばかりで掻巻《かいまき》の上から圧《お》す、顔の見えない番町のお嬢さん。干すと窄《すぼ》まる木場辺の渋蛇の目、死んだ頭《かしら》の火事見舞は
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