た。
 が、電燈《でんき》を消すと、たちまち鼠色の濃い雲が、ばっと落ちて、廂《ひさし》から欄干《てすり》を掛けて、引包《ひッつつ》んだようになった。
 夜も更けたり、座の趣は変ったのである。
 かねて、こうした時の心を得て、壁際に一台、幾年にも、ついぞ使った事はあるまい、艶《つや》の無い、くすぶった燭台《しょくだい》の用意はしてあったが、わざと消したくらいで、蝋燭《ろうそく》にも及ぶまい、と形《かた》だけも持出さず――所帯構わぬのが、衣紋竹《えもんだけ》の替りにして、夏羽織をふわりと掛けておいた人がある――そのままになっている。
 灯《あかり》無しで、どす暗い壁に附着《くッつ》いた件《くだん》の形は、蝦蟆《がま》の口から吹出す靄《もや》が、むらむらとそこで蹲踞《うずくま》ったようで、居合わす人数の姿より、羽織の方が人らしい。そして、……どこを漏れて来る燈《ともしび》の加減やら、絽《ろ》の縞《しま》の袂《たもと》を透いて、蛍を一包《ひとつつみ》にしたほどの、薄ら蒼《あお》い、ぶよぶよとした取留《とりとめ》の無い影が透く。

       三

 大方はそれが、張出し幕の縫目を漏れて茫《ぼう》と座敷へ映るのであろう……と思う。欄干下《らんかんした》の廂《ひさし》と擦れ擦れな戸外《おもて》に、蒼白い瓦斯《がす》が一基《ひともと》、大門口《おおもんぐち》から仲の町にずらりと並んだ中の、一番末の街燈がある。
 時々光を、幅広く迸《ほとば》しらして、濶《かッ》と明るくなると、燭台《しょくだい》に引掛《ひっか》けた羽織の袂が、すっと映る。そのかわり、じっと沈んで暗くなると、紺の縦縞が消々《きえぎえ》になる。
 座中は目で探って、やっと一人の膝、誰かの胸、別のまた頬《ほお》のあたり、片袖《かたそで》などが、風で吹溜《ふきたま》ったように、断々《きれぎれ》に仄《ほのか》に見える。間を隔てたほどそれがかえって濃い、つい隣合ったのなどは、真暗《まっくら》でまるで姿が無い。
 ふと鼠色の長い影が、幕を斜違《はすっか》いに飜々《ひらひら》と伝わったり……円さ六尺余りの大きな頭が、ぬいと、天井に被《かぶ》さりなどした。
「今、起《た》ちなすったのは魯智深《ろちしん》さんだね。」
 と主《ぬし》は分らず声を懸ける。
「いや、私《わし》は胡坐《あぐら》掻《か》いています、どっしりとな。」
 とわざ
前へ 次へ
全49ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング