の贈った後幕《うしろまく》が、染返しの掻巻《かいまき》にもならないで、長持の底に残ったのを、間に合わせに用いたのである。
 端唄《はうた》の題に出されたのも、十年近く以前であるから。見たばかりで、野路《のじ》の樹とも垣根の枝とも、誰も気の着いたものはなかったが、初め座の定まった処へ、お才という内の姉御が、お茶|聞《きこ》しめせ、と持って出て、梅干も候ぞ。
「いかがですか、甘露梅《かんろばい》。」
 と、今めかしく註を入れたは、年紀《とし》の少《わか》い、学生も交《まじ》ったためで。
「お珍らしくもありませんが、もう古いんですよ、私のように。」
 と笑いながら、
「民さん、」
 と、当夜の幹事の附添いで居た、佐川|民弥《たみや》という、ある雑誌の記者を、ちょいと見て、
「あの妓《こ》なんか、手伝ったのがまだそのままなんです。召あがれ。」と済まして言う。
 様子を知った二三人が、ふとこれで気が着いた。そして、言合わせたように民弥を見た。
 もっとも、そうした年紀《とし》ではなし、今頃はもう左衛門で、女房の実の名も忘れているほどであるから、民弥は何の気も無さそうに、
「いや、御馳走《ごちそう》。」
 時に敷居の外の、その長《なが》六畳の、成りたけ暗そうな壁の処へ、紅入友染《べにいりゆうぜん》の薄いお太鼓を押着《おッつ》けて、小さくなったが、顔の明《あかる》い、眉の判然《はっきり》した、ふっくり結綿《ゆいわた》に緋《ひ》の角絞《つのしぼ》りで、柄も中形も大きいが、お三輪といって今年が七《しち》、年よりはまだ仇気《あどけ》ない、このお才の娘分。吉野町《よしのちょう》辺の裁縫《おしごと》の師匠へ行《ゆ》くのが、今日は特別、平時《いつも》と違って、途中の金貸の軒に居る、馴染《なじみ》の鸚鵡《おうむ》の前へも立たず……黙って奥山の活動写真へも外《そ》れないで、早めに帰って来て、紫の包も解かずに、……
「道理で雨が霽《あが》ったよ。」
 嬉々《いそいそ》客設けの手伝いした、その――

       二

 お三輪がちょうど、そうやって晴がましそうに茶を注《つ》いでいた処。――甘露梅の今のを聞くと、はッとしたらしく、顔を据えたが、拗《す》ねたという身で土瓶をトン。
「才《さあ》ちゃん。」
 と背後《うしろ》からお才を呼んで、前垂《まえだれ》の端はきりりとしながら、褄《つま》の媚《なま》
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