意気の俊爽《しゅんそう》なるを語れり。漆のごとき髪はやや生《お》いて、広き額《ひたい》に垂れたるが、吹き揚ぐる川風に絶えず戦《そよ》げり。
 つくづく視《なが》めたりし白糸はたちまち色を作《な》して叫びぬ。
「あら、まあ! 金さんだよ」
 欄干に眠れるはこれ余人ならず、例の乗り合い馬車の馭者《ぎょしゃ》なり。
「どうして今時分こんなところにねえ」
 渠は跫音《あしおと》を忍びて、再び男に寄り添いつつ、
「ほんとに罪のない顔をして寝ているよ」
 恍惚《こうこつ》として瞳《ひとみ》を凝らしたりしが、にわかにおのれが絡《まと》いし毛布《ケット》を脱ぎて被《き》せ懸《か》けたれども、馭者は夢にも知らで熟睡《うまいね》せり。
 白糸は欄干に腰を憩《やす》めて、しばらくなすこともあらざりしが、突然声を揚げて、
「ええひどい蚊だ」膝《ひざ》のあたりをはたと拊《う》てり。この音にや驚きけん、馭者は眼覚《めさ》まして、叭《あくび》まじりに、
「ああ、寝た。もう何時《なんどき》か知らん」
 思い寄らざりしわがかたわらに媚《なま》めける声ありて、
「もうかれこれ一時ですよ」
 馭者は愕然《がくぜん》として顧
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