し!」
「ここな命取り!」
 喝采《やんや》の声のうちに渠は徐《しず》かに面《おもて》を擡《もた》げて、情を含みて浅笑せり。口上は扇を挙《あ》げて一咳《いちがい》し、
「東西! お目通りに控えさせましたるは、当座の太夫元滝の白糸にござりまする。お目見え相済みますれば、さっそくながら本芸に取り掛からせまする。最初|腕調《こてしら》べとして御覧に入れまするは、露に蝶《ちょう》の狂いを象《かたど》りまして、(花野の曙《あけぼの》)。ありゃ来た、よいよいよいさて」
 さて太夫はなみなみ水を盛りたるコップを左手《ゆんで》に把《と》りて、右手《めて》には黄白《こうはく》二面の扇子を開き、やと声|発《か》けて交互《いれちがい》に投げ上ぐれば、露を争う蝶|一双《ひとつ》、縦横上下に逐《お》いつ、逐われつ、雫《しずく》も滴《こぼ》さず翼も息《やす》めず、太夫の手にも住《とど》まらで、空に文《あや》織る練磨《れんま》の手術、今じゃ今じゃと、木戸番は濁声《だみごえ》高く喚《よば》わりつつ、外面《おもて》の幕を引き揚《あ》げたるとき、演芸中の太夫はふと外《と》の方《かた》に眼を遣《や》りたりしに、何にか心を奪
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