るがごとく言い放てり。
「要らないよ」
「そうおっしゃらずにお召しなすって。へへへへへ」
「なんだね、人をばかにして。一人《いちにん》乗りに同乗《あいのり》ができるかい」
「そこはまたお話合いで、よろしいようにしてお乗んなすってください」
 おもしろ半分に※[#「夕/寅」、第4水準2−5−29]《まつわ》るを、白糸は鼻の端《さき》に遇《あしら》いて、
「おまえもとんだ苦労性だよ。他《ひと》のことよりは、早く還《かえ》って、内君《うちの》でも悦《よろこ》ばしておやんな」
 さすがに車夫もこの姉御の与《くみ》しやすからざるを知りぬ。
「へい、これははばかり様。まああなたもお楽しみなさいまし」
 渠は直ちに踵《きびす》を回《めぐ》らして、鼻唄《はなうた》まじりに行き過ぎぬ。欣弥は何思いけん、
「おい、車夫《くるまや》!」とにわかに呼び住《と》めたり。
 車夫《しゃふ》は頭《かしら》を振り向けて、
「へえ、やっぱりお合い乗りですかね」
「ばか言え! 伏木《ふしき》まで行くか」
 渠の答うるに先だちて、白糸は驚きかつ怪しみて問えり。
「伏木……あの、伏木まで?」
 伏木はけだし上都《じょうと》の道、越後直江津《えちごなおえつ》まで汽船便ある港なり。欣弥は平然として、
「これからすぐに発《た》とうと思う」
「これから※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」と白糸はさすがに心《むね》を轟《とどろ》かせり。
 欣弥は頷きたりし頭《かしら》をそのまま低《た》れて、見るべき物もあらぬ橋の上に瞳《ひとみ》を凝らしつつ、その胸中は二途の分別を追うに忙しかりき。
「これからとはあんまり早急じゃありませんか。まだお話したいこともあるのだから、今夜はともかくも、ねえ」
 一面は欣弥を説き、一面は車夫に向かい、
「若い衆《しゅ》さん、済まないけれど、これを持って行っとくれよ」
 渠が紙入れを捜《さぐ》るとき、欣弥はあわただしく、
「車夫《くるまや》、待っとれ。行っちゃいかんぜ」
「あれさ、いいやね。さあ、若い衆さんこれを持って行っとくれよ」
 五銭の白銅を把《と》りて、まさに渡さんとせり。欣弥はその間《なか》に分け入りて、
「少し都合があるのだから、これから遣《や》ってくれ」
 渠は十分に決心の色を露わせり。白糸はとうていその動かす能わざるを覚《さと》りて、潔く未練を棄《す》てぬ。
「そう。それじゃ無
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