にして暮らしたいと言うんでさね」
馭者は遅疑せず、渠の語るを追いて潔く答えぬ。
「よろしい。けっしてもう他人ではない」
涼しき眼《め》と凛々しき眼とは、無量の意を含みて相合えり。渠らは無言の数秒の間に、不能語、不可説なる至微至妙の霊語を交えたりき。渠らが十年語りて尽くすべからざる心底の磅※[#「石+薄」、第3水準1−89−18]《ほうはく》は、実にこの瞬息において神会黙契されけるなり。ややありて、まず馭者は口を開きぬ。
「私は高岡の片原町《かたはらまち》で、村越欣弥《むらこしきんや》という者だ」
「私は水島友といいます」
「水島友? そうしてお宅は?」
白糸ははたと語《ことば》に塞《つま》りぬ。渠は定まれる家のあらざればなり。
「お宅はちっと窮《こま》ったねえ」
「だって、家《うち》のないものがあるものか」
「それがないのだからさ」
天下に家なきは何者ぞ。乞食《こつじき》の徒といえども、なおかつ雨露を凌《しの》ぐべき蔭《かげ》に眠らずや。世上の例《ならい》をもってせば、この人まさに金屋に入り、瑶輿《たまのこし》に乗るべきなり。しかるを渠は無宿《やどなし》と言う。その行ないすでに奇にして、その心また奇なりといえども、いまだこの言の奇なるには如《し》かず、と馭者は思えり。
「それじゃどこにいるのだ」
「あすこさ」と美人は磧《かわら》の小屋を指させり。
馭者はそなたを望みて、
「あすことは?」
「見世物小屋さ」と白糸は異様の微笑《えみ》を含みぬ。
「ははあ、見世物小屋とは異《かわ》っている」
馭者は心ひそかに驚きたるなり。渠はもとよりこの女をもって良家の女子とは思い懸《か》けざりき、寡《すく》なくとも、海に山に五百年の怪物たるを看破したりけれども、見世物小屋に起き臥しせる乞食芸人の徒ならんとは、実に意表に出でたりしなり。とはいえども渠はさあらぬ体に答えたりき。白糸は渠の心を酌《く》みておのれを嘲《あざけ》りぬ。
「あんまり異《かわ》りすぎてるわね」
「見世物の三味線《しゃみせん》でも弾《ひ》いているのかい」
「これでも太夫元《たゆうもと》さ。太夫だけになお悪いかもしれない」
馭者は軽侮《けいぶ》の色をも露《あら》わさず、
「はあ、太夫! なんの太夫?」
「無官の太夫じゃない、水芸の太夫さ。あんまり聞いておくれでないよ、面目《きまり》が悪いからさ」
馭者はま
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