このとき少しく震いを帯びてぞ予が耳には達したる。その顔色はいかにしけん、にわかに少しく変わりたり。
 さてはいかなる医学士も、驚破《すわ》という場合に望みては、さすがに懸念のなからんやと、予は同情を表《ひょう》したりき。
 看護婦は医学士の旨を領してのち、かの腰元に立ち向かいて、
「もう、なんですから、あのことを、ちょっと、あなたから」
 腰元はその意を得て、手術台に擦《す》り寄りつ、優に膝《ひざ》のあたりまで両手を下げて、しとやかに立礼し、
「夫人《おくさま》、ただいま、お薬を差し上げます。どうぞそれを、お聞きあそばして、いろはでも、数字でも、お算《かぞ》えあそばしますように」
 伯爵夫人は答なし。
 腰元は恐る恐る繰り返して、
「お聞き済みでございましょうか」
「ああ」とばかり答えたまう。
 念を推して、
「それではよろしゅうございますね」
「何かい、痲酔剤《ねむりぐすり》をかい」
「はい、手術の済みますまで、ちょっとの間でございますが、御寝《げし》なりませんと、いけませんそうです」
 夫人は黙して考えたるが、
「いや、よそうよ」と謂《い》える声は判然として聞こえたり。一同顔を見合
前へ 次へ
全19ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング