き獅子の皮の、かかる牡丹の母衣の中に、三味《さみ》、胡弓《こきゅう》、笛、太鼓、鼓《つづみ》を備へて、節をかしく、かつ行き、かつ鳴して一ゆるぎしては式場さして近づき候。母衣の裾《すそ》よりうつくしき衣《きぬ》の裾、ちひさき女の足などこぼれ出でて見え候は、歌姫《うたひめ》の上手《じょうず》をばつどへ入れて、この楽器を司《つかさど》らせたるものに候へばなり。
おなじ仕組の同じ獅子の、唯一《ただひと》つには留まらで、主立《おもだ》つたる町々より一つづつ、すべて十五、六頭|※[#「しんにゅう+黎」、第4水準2−90−3]《ね》り出《い》だし候が、群集《ぐんじゅ》のなかを処々横断し、点綴《てんてつ》して、白き地に牡丹の花、人を蔽《おお》ひて見え候。
四
群集ばらばらと一斉《いっせい》に左右に分れ候。
不意なれば蹌踉《よろ》めきながら、おされて、人の軒に仰ぎ依りつつ、何事ぞと存じ候に、黒き、長き物ずるずると来て、町の中央《なか》を一文字に貫きながら矢の如く駈《か》け抜け候。
これをば心付き候時は、ハヤその物体の頭《かしら》は二、三十|間《けん》わが眼の前を走り去り候て、いまはその胴中《どうなか》あたり連《しき》りに進行いたしをり候が、あたかも凧《たこ》の糸を繰出す如く、走馬燈籠《まわりどうろう》の間断なきやう俄《にわか》に果つべくも見え申さず。唯《ただ》人の頭も、顔も、黒く塗りて、肩より胸、背、下腹のあたりまで、墨もていやが上に濃く塗りこくり、赤褌襠《あかふどし》着けたる臀《いしき》、脛《はぎ》、足、踵《かかと》、これをば朱を以て真赤に色染めたるおなじ扮装《いでたち》の壮佼《わかもの》たち、幾百人か。一人行く前の人の後《あと》へ後へと繋《つな》ぎあひ候が、繰出す如くずんずんと行き候。およそ半時間は連続いたし候ひしならむ、やがて最後の一人の、身体《からだ》黒く足赤きが眼前をよぎり候あと、またひらひらと群集左右より寄せ合うて、両側に別れたる路を塞《ふさ》ぎ候時、その過行《すぎゆ》きし方《かた》を打眺《うちなが》め候へば、彼《か》の怪物の全体は、遥《はるか》なる向の坂をいま蜿《うね》り蜿りのぼり候|首尾《しゅび》の全《まった》きを、いかにも蜈蚣《むかで》と見受候。あれはと見る間に百尺《ひゃくせき》波状の黒線《こくせん》の左右より、二条の砂煙《さえん》真白《ましろ》にぱツと立つたれば、その尾のあたりは埃《ほこり》にかくれて、躍然《やくぜん》として擡《もた》げたるその臼《うす》の如き頭《こうべ》のみ坂の上り尽くる処雲の如き大銀杏《おおいちょう》の梢《こずえ》とならびて、見るがうちに、またただ七色の道路のみ、獅子の背のみ眺《なが》められて、蜈蚣《むかで》は眼界を去り候。疾《と》く既に式場に着し候ひけむ、風聞《うわさ》によれば、市内各処における労働者、たとへばぼてふり、車夫、日傭取《ひようとり》などいふものの総人数をあげたる、意匠の俄《パフナリー》に候とよ。
彼《か》の巨象と、幾頭の獅子と、この蜈蚣と、この群集とが遂《つい》に皆式場に会したることをおん含《ふくみ》の上、静にお考へあひなり候はば、いかなる御感《おんかん》じか御胸《おんむね》に浮び候や。
五
別に凱旋門《がいせんもん》と、生首提灯《なまくびじょうちん》と小生は申し候。人の目鼻書きて、青く塗りて、血の色染めて、黒き蕨縄《わらびなわ》着けたる提灯と、竜の口なる五条の噴水と、銅像と、この他に今も眼に染《し》み、脳に印して覚え候は、式場なる公園の片隅に、人を避けて悄然《しょうぜん》と立ちて、淋《さび》しげにあたりを見まはしをられ候、一個《ひとり》年若き佳人にござ候。何といふいはれもあらで、薄紫のかはりたる、藤色の衣《きぬ》着けられ候ひき。
このたび戦死したる少尉B氏の令閨《れいけい》に候。また小生知人にござ候。
あらゆる人の嬉しげに、楽しげに、をかしげに顔色の見え候に、小生はさて置きて夫人のみあはれに悄《しお》れて見え候は、人いきりにやのぼせたまひしと案じられ、近う寄り声をかけて、もの問はむと存じ候折から、おツといふ声、人なだれを打つて立騒ぎ、悲鳴をあげて逃げ惑ふ女たちは、水車の歯にかかりて撥《は》ね飛ばされ候やう、倒れては遁《に》げ、転びては遁げ、うづまいて来る大|蜈蚣《むかで》のぐるぐると巻き込むる環のなかをこぼれ出で候が、令閨《れいけい》とおよび五三人はその中心になりて、十重二十重《とえはたえ》に巻きこまれ、遁《のが》るる隙《ひま》なく伏《ふし》まろび候ひし。警官|駈《か》けつけて後《のち》、他は皆無事に起上り候に、うつくしき人のみは、そのまま裳《もすそ》をまげて、起たず横はり候。塵埃《ちりほこり》のそのつややかなる黒髪を汚《けが》す間もな
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