ら――農屋漁宿《のうおくぎょしゅく》、なお言えば商家の町も遠くはないが、ざわめく風の間には、海の音もおどろに寂しく響いている。よく言う事だが、四辺《あたり》が渺《びょう》として、底冷い靄《もや》に包まれて、人影も見えず、これなりに、やがて、逢魔《おうま》が時になろうとする。
 町屋の屋根に隠れつつ、巽《たつみ》に展《ひら》けて海がある。その反対の、山裾《やますそ》の窪《くぼ》に当る、石段の左の端に、べたりと附着《くッつ》いて、溝鼠《どぶねずみ》が這上《はいあが》ったように、ぼろを膚《はだ》に、笠も被《かぶ》らず、一本杖《いっぽんづえ》の細いのに、しがみつくように縋《すが》った。杖の尖《さき》が、肩を抽《ぬ》いて、頭の上へ突出ている、うしろ向《むき》のその肩が、びくびくと、震え、震え、脊丈は三尺にも足りまい。小児《こども》だか、侏儒《いっすんぼうし》だか、小男だか。ただ船虫の影の拡《ひろが》ったほどのものが、靄に沁み出て、一段、一段と這上る。……
 しょぼけ返って、蠢《うごめ》くたびに、啾々《しゅうしゅう》と陰気に幽《かすか》な音がする。腐れた肺が呼吸《いき》に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾
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