でありながら、厚ぼったくなく、もの柔《やわらか》にすらりとしたのが、小丼のもずくの傍《わき》で、海を飛出し、銀に光る、鰹《かつお》の皮づくりで、静《しずか》に猪口《ちょく》を傾けながら、
「おや、もう帰る。」信也氏が早急に席を出た時、つまの蓼《たで》を真青《まっさお》に噛《か》んで立ったのがその画伯であった。

「ああ、やっと、思出した……おつまさん。」
「市場の、さしみの……」
 と莞爾《にっこり》する。
「おさらいは構わないが、さ、さしあたって、水の算段はあるまいか、一口でもいいんだが。」
「おひや。暑そうね、お前さん、真赤《まっか》になって。」
 と、扇子《おうぎ》を抜いて、風をくれつつ、
「私も暑い。赤いでしょう。」
「しんは青くなっているんだよ……息が切れて倒れそうでね。」
「おひや、ありますよ。」
「有りますか。」
「もう、二階ばかり上の高い処に、海老屋《えびや》の屋根の天水|桶《おけ》の雪の遠見ってのがありました。」
「聞いても飛上りたいが、お妻さん、動悸《どうき》が激しくって、動くと嘔きそうだ。下へもおりられないんだよ。恩に被《き》るから、何とか一杯。」
「おっしゃるな
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