《ただなか》に当っていた。
浅草寺観世音の仁王門、芝の三門など、あの真中《まんなか》を正面に切って通ると、怪異がある、魔が魅《さ》すと、言伝える。偶然だけれども、信也氏の場合は、重ねていうが、ビルジングの中心にぶつかった。
また、それでなければ、行路病者のごとく、こんな壁際に踞《しゃが》みもしまい。……動悸《どうき》に波を打たし、ぐたりと手をつきそうになった時は、二河白道《にがびゃくどう》のそれではないが――石段は幻に白く浮いた、卍《まんじ》の馬の、片鐙《かたあぶみ》をはずして倒《さかさま》に落ちそうにさえ思われた。
いや、どうもちっと大袈裟《おおげさ》だ。信也氏が作者に話したのを直接に聞いた時は、そんなにも思わなかった。が、ここに書きとると何だか誇張したもののように聞こえてよくない。もっとも読者諸賢に対して、作者は謹んで真面目である。処を、信也氏は実は酔っていた。
宵から、銀座裏の、腰掛ではあるが、生灘《きなだ》をはかる、料理が安くて、庖丁の利く、小皿盛の店で、十二三人、気の置けない会合があって、狭い卓子《テエブル》を囲んだから、端から端へ杯が歌留多《かるた》のようにはずむ
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