》の女房の、婀娜《あだ》にたおやかなのがそっくりで、半四郎茶屋と呼ばれた引手茶屋の、大尽は常客だったが、芸妓《げいしゃ》は小浜屋の姉妹《きょうだい》が一の贔屓《ひいき》だったから、その祝宴にも真先《まっさき》に取持った。……当日は伺候《しこう》の芸者大勢がいずれも売出しの白粉の銘、仙牡丹に因《ちな》んだ趣向をした。幇間《ほうかん》なかまは、大尽客を、獅子《しし》に擬《なぞら》え、黒牡丹と題して、金の角の縫いぐるみの牛になって、大広間へ罷出《まかりい》で、馬には狐だから、牛に狸が乗った、滑稽《おどけ》の果《はて》は、縫ぐるみを崩すと、幇間同士が血のしたたるビフテキを捧げて出た、獅子の口へ、身を牲《にえ》にして奉った、という生命《いのち》を賭《と》した、奉仕《サアビス》である。
(――同町内というではないが、信也氏は、住居《すまい》も近所で、鴾画伯とは別懇だから、時々その細君の京千代に、茶の間で煙草話に聞いている――)

 小浜屋の芸妓姉妹は、その祝宴の八百松で、その京千代と、――中の姉のお民《たみ》――(これは仲之町を圧して売れた、)――小股《こまた》の切れた、色白なのが居て、二人で、囃子《はやし》を揃えて、すなわち連獅子《れんじし》に骨身を絞ったというのに――上の姉のこのお妻はどうだろう。興|酣《たけなわ》なる汐時《しおどき》、まのよろしからざる処へ、田舎の媽々《かかあ》の肩手拭《かたてぬぐい》で、引端折《ひっぱしょ》りの蕎麦《そば》きり色、草刈籠《くさかりかご》のきりだめから、へぎ盆に取って、上客からずらりと席順に配って歩行《ある》いて、「くいなせえましょう。」と野良声を出したのを、何だとまあ思います?

(――鴾の細君京千代のお京さんの茶の間話に聞いたのだが――)

 つぶし餡《あん》の牡丹餅《ぼたもち》さ。ために、浅からざる御不興を蒙《こうむ》った、そうだろう。新製売出しの当り祝につぶしは不可《いけな》い。のみならず、酒宴の半ばへ牡丹餅は可笑《おか》しい。が、すねたのでも、諷《ふう》したのでも何でもない、かのおんなの性格の自然に出でた趣向であった。
 ……ここに、信也氏のために、きつけの水を汲《く》むべく、屋根の雪の天水桶を志して、環海ビルジングを上りつつある、つぶし餡のお妻が、さてもその後、黄粉か、胡麻《ごま》か、いろが出来て、日光へ駆落ちした。およそ、獅子大じんに牡丹餅をくわせた姉さんなるものの、生死《いきしに》のあい手を考えて御覧なさい。相撲か、役者か、渡世人か、いきな処で、こはだの鮨《すし》は、もう居ない。捻《ひね》った処で、かりん糖売か、皆違う。こちの人は、京町の交番に新任のお巡査《まわり》さん――もっとも、角海老《かどえび》とかのお職が命まで打込んで、上《あが》り藤の金紋のついた手車で、楽屋入をさせたという、新派の立女形《たておやま》、二枚目を兼ねた藤沢浅次郎に、よく肖《に》ていたのだそうである。
 あいびきには無理が出来る。いかんせん世の習《ならい》である。いずれは身のつまりで、遁《に》げて心中の覚悟だった、が、華厳《けごん》の滝へ飛込んだり、並木の杉でぶら下ろうなどというのではない。女形《おやま》、二枚目に似たりといえども、彰義隊《しょうぎたい》の落武者を父にして旗本の血の流れ淙々《そうそう》たる巡査である。御先祖の霊前に近く、覚悟はよいか、嬉しゅうござんす、お妻の胸元を刺貫き――洋刀《サアベル》か――はてな、そこまでは聞いておかない――返す刀で、峨々《がが》たる巌石《いわお》を背《そびら》に、十文字の立ち腹を掻切《かっき》って、大蘇芳年《たいそよしとし》の筆の冴《さえ》を見よ、描く処の錦絵《にしきえ》のごとく、黒髪山の山裾に血を流そうとしたのであった。が、仏法僧のなく音《ね》覚束《おぼつか》なし、誰に助けらるるともなく、生命《いのち》生きて、浮世のうらを、古河銅山の書記《かきやく》になって、二年ばかり、子まで出来たが、気の毒にも、山小屋、飯場のパパは、煩ってなくなった。
 お妻は石炭|屑《くず》で黒くなり、枝炭のごとく、煤《すす》けた姑獲鳥《うぶめ》のありさまで、おはぐろ溝《どぶ》の暗夜《やみ》に立ち、刎橋《はねばし》をしょんぼりと、嬰児《あかんぼ》を抱いて小浜屋へ立帰る。……と、場所がよくない、そこらの口の悪いのが、日光がえりを、美術の淵源地《えんげんち》、荘厳の廚子《ずし》から影向《ようごう》した、女菩薩《にょぼさつ》とは心得ず、ただ雷の本場と心得、ごろごろさん、ごろさんと、以来かのおんなを渾名《あだな》した。――嬰児が、二つ三つ、片口をきくようになると、可哀相《かわいそう》に、いつどこで覚えたか、ママを呼んで、ごよごよちゃん、ごよちゃま。

 ○日月星昼夜織分《じつげつせいちゅうやのおりわけ》――
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