変な場処まで捜しまわるようでは、あすこ、ここ、町の本屋をあら方あらしたに違いない。道理こそ、お父《とっ》さんが大層な心配だ。……新坊、小母さんの膝《ひざ》の傍《そば》へ。――気をはっきりとしないか。ええ、あんな裏土塀の壊れ木戸に、かしほんの貼札《はりふだ》だ。……そんなものがあるものかよ。いまも現に、小母さんが、おや、新坊、何をしている、としばらく熟《じっ》と視《み》ていたが、そんなはり紙は気《け》も影もなかったよ。――何だとえ?……昼間来て見ると何にもない。……日の暮から、夜へ掛けてよく見えると。――それ、それ、それ見な、これ、新坊。坊が立っていた、あの土塀の中は、もう家《うち》が壊れて草ばかりだ、誰も居ないんだ。荒庭に古い祠《ほこら》が一つだけ残っている……」
と言いかけて、ふと独《ひとり》で頷《うなず》いた。
「こいつ、学校で、勉強盛りに、親がわるいと言うのを聞かずに、夢中になって、余り凝るから魔が魅《さ》した。ある事だ。……枝の形、草の影でも、かし本の字に見える。新坊や、可恐《こわ》い処だ、あすこは可恐い処だよ。――聞きな。――おそろしくなって帰れなかったら、可《よ》い、可い、小母さんが、町の坂まで、この川土手を送ってやろう。
――旧藩の頃にな、あの組屋敷に、忠義がった侍が居てな、御主人の難病は、巳巳巳巳《みみみみ》、巳の年月の揃った若い女の生肝《いきぎも》で治ると言って、――よくある事さ。いずれ、主人の方から、内証で入費は出たろうが、金子《かね》にあかして、その頃の事だから、人買の手から、その年月の揃ったという若い女を手に入れた。あろう事か、俎《まないた》はなかろうよ。雨戸に、その女を赤裸《はだか》で鎹《かすがい》で打ったとな。……これこれ、まあ、聞きな。……真白《まっしろ》な腹をずぶずぶと刺いて開いた……待ちな、あの木戸に立掛けた戸は、その雨戸かも知れないよ。」
「う、う、う。」
小僧は息を引くのであった。
「酷《むご》たらしい話をするとお思いでない。――聞きな。さてとよ……生肝を取って、壺《つぼ》に入れて、組屋敷の陪臣《ばいしん》は、行水、嗽《うがい》に、身を潔《きよ》め、麻上下《あさがみしも》で、主人の邸へ持って行く。お傍医師《そばいしゃ》が心得て、……これだけの薬だもの、念のため、生肝を、生《しょう》のもので見せてからと、御前《ごぜん》で壺を開けるとな。……血肝《ちぎも》と思った真赤《まっか》なのが、糠袋《ぬかぶくろ》よ、なあ。麝香入《じゃこういり》の匂袋ででもある事か――坊は知るまい、女の膚身《はだみ》を湯で磨く……気取ったのは鶯《うぐいす》のふんが入る、糠袋が、それでも、殊勝に、思わせぶりに、びしょびしょぶよぶよと濡れて出た。いずれ、身勝手な――病《やまい》のために、女の生肝を取ろうとするような殿様だもの……またものは、帰って、腹を割《さ》いた婦《おんな》の死体をあらためる隙《ひま》もなしに、やあ、血みどれになって、まだ動いていまする、とおのが手足を、ばたばたと遣りながら、お目通《めどおり》、庭前《にわさき》で斬《き》られたのさ。
いまの祠《ほこら》は……だけれど、その以前からあったというが、そのあとの邸だよ。もっとも、幾たびも代は替った。
――余りな話と思おうけれど、昔ばかりではないのだよ。現に、小母さんが覚えた、……ここへ一昨年《おととし》越して来た当座、――夏の、しらしらあけの事だ。――あの土塀の処に人だかりがあって、がやがや騒ぐので行ってみた。若い男が倒れていてな、……川向うの新地帰りで、――小母さんもちょっと見知っている、ちとたりないほどの色男なんだ――それが……医師《いしゃ》も駆附けて、身体《からだ》を検《しら》べると、あんぐり開けた、口一杯に、紅絹《もみ》の糠袋……」
「…………」
「糠袋を頬張《ほおば》って、それが咽喉《のど》に詰《つま》って、息が塞《ふさが》って死んだのだ。どうやら手が届いて息を吹いたが。……あとで聞くと、月夜にこの小路へ入る、美しいお嬢さんの、湯上りのあとをつけて、そして、何だよ、無理に、何、あの、何の真似だか知らないが、お嬢さんの舌をな。」
と、小母さんは白い顔して、ぺろりとその真紅《まっか》な舌。
小僧は太い白蛇に、頭から舐《な》められた。
「その舌だと思ったのが、咽喉へつかえて気絶をしたんだ。……舌だと思ったのが、糠袋。」
とまた、ぺろりと見せた。
「厭《いや》だ、小母さん。」
「大丈夫、私がついているんだもの。」
「そうじゃない。……小母さん、僕もね、あすこで、きれいなお嬢さんに本を借りたの。」
「あ。」
と円い膝に、揉《も》み込むばかり手を据えた。
「もう、見たかい。……ええ、高島田で、紫色の衣《き》ものを着た、美しい、気高い……十八九の。…
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