女、手を曳《ひ》かる。ともに床に上《のぼ》る。公子剣を軽く取る。)終生を盟《ちか》おう。手を出せ。(手首を取って刃を腕《かいな》に引く、一線の紅血《こうけつ》、玉盞《ぎょくさん》に滴る。公子返す切尖《きっさき》に自から腕を引く、紫の血、玉盞に滴る。)飲め、呑もう。
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盞《さかずき》をかわして、仰いで飲む。廻廊の燈籠一斉に点《とも》り輝く。
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あれ見い、血を取かわして飲んだと思うと、お前の故郷《くに》の、浦の磯《いそ》に、岩に、紫と紅《あか》の花が咲いた。それとも、星か。
(一同打見る。)
あれは何だ。
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美女 見覚えました花ですが、私はもう忘れました。
公子 (書を見つつ)博士、博士。
博士 (登場)……お召。
公子 (指《ゆびさ》す)あの花は何ですか。(書を渡さんとす。)
博士 存じております。竜胆《りんどう》と撫子《とこなつ》でございます。新夫人《にいおくさま》の、お心が通いまして、折からの霜に、一際色が冴《さ》えました。若様と奥様の血の俤《おもかげ》でございます。
公子 人間にそれが分るか。
博士 心ないものには知れますまい。詩人、画家が、しかし認めますでございましょう。
公子 お前、私の悪意ある呪詛《のろい》でないのが知れたろう。
美女 (うなだる)お見棄《みすて》のう、幾久しく。
一同 ――万歳を申上げます。――
公子 皆、休息をなさい。(一同退場。)
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公子、美女と手を携えて一歩す。美しき花降る。二歩す、フト立停《たちど》まる。三歩を動かす時、音楽聞ゆ。
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美女 一歩《ひとあし》に花が降り、二歩《ふたあし》には微妙の薫《かおり》、いま三あしめに、ひとりでに、楽しい音楽の聞えます。ここは極楽でございますか。
公子 ははは、そんな処と一所にされて堪《たま》るものか。おい、女の行《ゆ》く極楽に男は居らんぞ。(鎧《よろい》の結目《むすびめ》を解きかけて、音楽につれて徐《おもむ》ろに、やや、ななめに立ちつつ、その竜の爪を美女の背にかく。雪の振袖、紫の鱗の端に仄《ほのか》に見ゆ)男の行く極楽に女は居ない。
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[#地から2字上げ]――幕――
[#地から1字上げ]大正二(一九一三)年十二月



底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十六卷」岩波書店
   1942(昭和17)年10月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:染川隆俊
2006年9月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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