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美女 あれ。(椅子を落つ。侍女の膝にて、袖を見、背を見、手を見つつ、わななき震う。雪の指尖《ゆびさき》、思わず鬢《びん》を取って衝《つ》と立ちつつ)いいえ、いいえ、いいえ。どこも蛇にはなりません。一《い》、一枚も鱗はない。
公子 一枚も鱗はない、無論どこも蛇《へび》にはならない。貴女は美しい女です。けれども、人間の眼《まなこ》だ。人の見る目だ。故郷に姿を顕《あらわ》す時、貴女の父、貴女の友、貴女の村、浦、貴女の全国の、貴女を見る目は、誰も残らず大蛇と見る。ものを云う声はただ、炎の舌が閃《ひらめ》く。吐《つ》く息は煙を渦巻く。悲歎の涙は、硫黄《ゆおう》を流して草を爛《ただ》らす。長い袖は、腥《なまぐさ》い風を起して樹を枯らす。悶《もだ》ゆる膚《はだ》は鱗を鳴《なら》してのたうち蜿《うね》る。ふと、肉身のものの目に、その丈より長い黒髪の、三筋、五筋、筋を透《すか》して、大蛇の背に黒く引くのを見る、それがなごりと思うが可《い》い。
美女 (髪みだるるまでかぶりを掉《ふ》る)嘘です、嘘です。人を呪《のろ》って、人を詛《のろ》って、貴方こそ、その毒蛇です
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