たのでござります。
公子 冥土とは?……それこそ不埒《ふらち》だ。そして仇光《あだびか》りがする、あれは……水晶か。
博士 水晶とは申す条、近頃は専ら硝子《ビイドロ》を用いますので。
公子 (一笑す)私の恋人ともあろうものが、無ければ可《い》い。が、硝子《ビイドロ》とは何事ですか。金剛石、また真珠の揃うたのが可い。……博士、贈ってしかるべき頸飾《えりかざり》をお検《しら》べ下さい。
博士 畏《かしこま》りました。
公子 そして指環《ゆびわ》の珠の色も怪しい、お前たちどう見たか。
侍女一 近頃は、かんてらの灯の露店《ほしみせ》に、紅宝玉《ルビイ》、緑宝玉《エメラルド》と申して、貝を鬻《ひさ》ぐと承ります。
公子 お前たちの化粧の泡が、波に流れて渚《なぎさ》に散った、あの貝が宝石か。
侍女二 錦襴《きんらん》の服を着けて、青い頭巾《ずきん》を被《かぶ》りました、立派な玉商人《たまあきんど》の売りますものも、擬《にせ》が多いそうにございます。
公子 博士、ついでに指環を贈ろう。僧都、すぐに出向うて、遠路であるが、途中、早速、硝子《ビイドロ》とその擬《まが》い珠《たま》を取棄てさして下さい。お老寄《としより》に、御苦労ながら。
僧都 (苦笑す)若様には、新夫人《にいおくさま》の、まだ、海にお馴《な》れなさらず、御到着の遅いばかり気になされて、老人が、ここに形を消せば、瞬く間ものう、お姿見の中の御馬の前に映りまする神通《じんずう》を、お忘れなされて、老寄に苦労などと、心外な御意を蒙りまするわ。
公子 ははは、(無邪気に笑う)失礼をしました。
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博士、僧都、一揖《いちゆう》して廻廊より退場す。侍女等|慇懃《いんぎん》に見送る。
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少し窮屈であったげな。
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侍女等親しげに皆その前後に斉眉《かしず》き寄る。
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性急な私だ。――女を待つ間《ま》の心遣《こころやり》にしたい。誰か、あの国の歌を知っておらんか。
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侍女三 存じております。浪花津《なにわづ》に咲くやこの花|冬籠《ふゆごもり》、今を春へと咲くやこの花。
侍女四 若様、私《わたくし》も存じております。浅香山を。
公子 いや、そんなのではない。(博士がおきたる書を披《ひら》きつつ)女の国の東海道、道中の唄だ。何とか云うのだった。この書はいくらか覚えがないと、文字が見えないのだそうだ。(呟《つぶや》く)姉上は貴重な、しかし、少しあてっこすりの書をお拵《こしら》えになったよ。ああ、何とか云った、東海道の。
侍女五 五十三次のでございましょう、私《わたくし》が少し存じております。
公子 歌うてみないか。
侍女五 はい。(朗かに優しくあわれに唄う。)
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都路は五十路《いそじ》あまりの三つの宿、……
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公子 おお、それだ、字書のように、江戸紫で、都路と標目《みだし》が出た。(展《ひら》く)あとを。
侍女五 ……時得て咲くや江戸の花、浪|静《しずか》なる品川や、やがて越来《こえく》る川崎の、軒端《のきば》ならぶる神奈川は、早や程ヶ谷に程もなく、暮れて戸塚に宿るらむ。紫|匂《にお》う藤沢の、野面《のおも》に続く平塚も、もとのあわれは大磯《おおいそ》か。蛙《かわず》鳴くなる小田原は。……(極悪《きまりわる》げに)……もうあとは忘れました。
公子 可《よし》、ここに緑の活字が、白い雲の枚《ペエジ》に出た。――箱根を越えて伊豆の海、三島の里の神垣や――さあ、忘れた所は教えてやろう。この歌で、五十三次の宿を覚えて、お前たち、あの道中双六《どうちゅうすごろく》というものを遊んでみないか。上《あが》りは京都だ。姉の御殿に近い。誰か一人上って、双六の済む時分、ちょうど、この女は(姿見を見つつ)着くであろう。一番上りのものには、瑪瑙《めのう》の莢《さや》に、紅宝玉の実を装《かざ》った、あの造りものの吉祥果《きっしょうか》を遣《や》る。絵は直ぐに間に合ぬ。この室《へや》を五十三に割って双六の目に合せて、一人ずつ身体《からだ》を進めるが可《よ》かろう。……賽《さい》が要る、持って来い。
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(侍女六七、うつむいてともに微笑す)――どうした。
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侍女六 姿見をお取寄せ遊ばしました時。
侍女七 二人して盤の双六をしておりましたので、賽は持っておりますのでございます。
公子 おもしろい。向うの廻廊の端へ集まれ。そして順になって始めるが可《い》い。
侍女七 床へ振りましょうでございますか。
公子
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