心あって招かないのに来た、賽にも魂がある、寄越《よこ》せ。(受取る)卓子《テエブル》の上へ私が投げよう。お前たち一から七まで、目に従うて順に動くが可《い》い。さあ、集《あつま》れ。
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(侍女七人、いそいそと、続いて廻廊のはずれに集り、貴女《あなた》は一。私は二。こう口々に楽しげに取定《とりき》め、勇みて賽を待つ。)
可《い》いか、(片手に書を持ち、片手に賽を投ぐ)――一は三、かな川へ。(侍女一人進む)二は一、品川まで。(侍女一人また進む)三は五だ、戸塚へ行《ゆ》け。
(かくして順々に繰返し次第に進む。第五の侍女、年最も少きが一人衆を離れて賽の目に乗り、正面突当りなる窓際に進み、他と、間《あわい》隔る。公子。これより前《さき》、姿見を見詰めて、賽の目と宿の数を算《かぞ》え淀《よど》む。……この時、うかとしたる体《てい》に書を落す。)
まだ、誰も上らないか。
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侍女一 やっと一人天竜川まで参りました。
公子 ああ、まだるっこい。賽を二つ一所に振ろうか。(手にしながら姿見に見入る。侍女等、等《ひとし》く其方《そなた》を凝視す。)
侍女五 きゃっ。(叫ぶ。隙《ひま》なし。その姿、窓の外へ裳《もすそ》を引いて颯《さっ》と消ゆ)ああれえ。
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侍女等、口々に、あれ、あれ、鮫《さめ》が、鮫が、入道鮫が、と立乱れ騒ぎ狂う。
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公子 入道鮫が、何、(窓に衝《つ》と寄る。)
侍女一 ああ、黒鮫が三百ばかり。
侍女二 取巻いて、群りかかって。
侍女三 あれ、入道が口に銜《くわ》えた。
公子 外道《げどう》、外道、その女を返せ、外道。(叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》しつつ、窓より出でんとす。)
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侍女等|縋《すが》り留《とど》む。
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侍女四 軽々しい、若様。
公子 放せ。あれ見い。外道の口の間から、女の髪が溢《こぼ》れて落ちる。やあ、胸へ、乳へ、牙《きば》が喰入る。ええ、油断した。……骨も筋も断《き》れような。ああ、手を悶《もだ》える、裳《もすそ》を煽《あお》る。
侍女六 いいえ、若様、私たち御殿の女は、身《からだ》は綿よりも柔かです。
侍女七 蓮《はす》の糸を束《つか》ねましたようですから、鰐《わに》の牙が、脊筋と鳩尾《みずおち》へ噛合《かみあ》いましても、薄紙|一重《ひとえ》透きます内は、血にも肉にも障りません。
侍女三 入道も、一類も、色を漁《あさ》るのでございます。生命《いのち》はしばらく助りましょう。
侍女四 その中《うち》に、その中に。まあ、お静まり遊ばして。
公子 いや、俺の力は弱いもののためだ。生命《いのち》に掛けて取返す。――鎧《よろい》を寄越せ。
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侍女二人|衝《つ》と出で、引返して、二人して、一領の鎧を捧げ、背後《うしろ》より颯《さっ》と肩に投掛く。
公子、上へ引いて、頸《うなじ》よりつらなりたる兜《かぶと》を頂く。角《つの》ある毒竜、凄《すさま》じき頭《かしら》となる。その頭を頂く時に、侍女等、鎧の裾《すそ》を捌《さば》く。外套《がいとう》のごとく背より垂れて、紫の鱗《うろこ》、金色《こんじき》の斑点連り輝く。
公子、また袖を取って肩よりして自ら喉《のど》に結ぶ、この結びめ、左右一双の毒竜の爪なり。迅速に一縮す。立直るや否や、剣《つるぎ》を抜いて、頭上に翳《かざ》し、ハタと窓外を睨《にら》む。
侍女六人、斉《ひと》しくその左右に折敷き、手に手に匕首《あいくち》を抜連れて晃々《きらきら》と敵に構う。
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外道、退《ひ》くな。(凝《じつ》と視《み》て、剣の刃を下に引く)虜《とりこ》を離した。受取れ。
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侍女一 鎧をめしたばっかりで、御威徳を恐れて引きました。
侍女二 長う太く、数百《すひゃく》の鮫のかさなって、蜈蚣《むかで》のように見えたのが、ああ、ちりぢりに、ちりぢりに。
侍女三 めだか[#「めだか」に傍点]のように遁《に》げて行《ゆ》きます。
公子 おお、ちょうど黒潮等が帰って来た、帰った。
侍女四 ほんに、おつかい帰りの姉さんが、とりこを抱取って下すった。
公子 介抱してやれ。お前たちは出迎え。
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侍女三人ずつ、一方は闥《とびら》のうちへ。一方は廻廊に退場。
公子、真中《まんなか》に、すっくと立ち、静かに剣《つるぎ》を納めて、右手《めて》なる白珊瑚《しろさんご》の椅子に凭《よ》る。騎士五人廻廊まで登場
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