のう》に青貝の蒔絵《まきえ》の書棚、五百|架《たな》、御所有でいらせられまする次第であります。
公子 姉があって幸福《しあわせ》です。どれ、(取って披《ひら》く)これは……ただ白紙だね。
博士 は、恐れながら、それぞれの予備の知識がありませんでは、自然のその色彩ある活字は、ペエジの上には写り兼ねるのでございます。
公子 恥入るね。
博士 いやいや、若様は御勇武でいらせられます。入道鰐《にゅうどうわに》、黒鮫《くろざめ》の襲いまする節は、御訓練の黒潮、赤潮騎士、御手の剣《つるぎ》でのうては御退けになりまする次第には参らぬのでありまして。けれども、姉姫様の御心づくし、節々は御閲読《ごえつどく》の儀をお勧め申まするので。
僧都 もろともに、お勧め申上げますでござります。
公子 (頷《うなず》く)まあ、今の引廻しの事を見て下さい。
博士 確《たしか》に。(書を披く)手近に浄瑠璃にありました。ああ、これにあります。……若様、これは大日本|浪華《なにわ》の町人、大経師以春《だいきょうじいしゅん》の年若き女房、名だたる美女のおさん。手代《てだい》茂右衛門《もえもん》と不義|顕《あらわ》れ、すなわち引廻し礫《はりつけ》になりまする処を、記したのでありまして。
公子 お読み。
博士 (朗読す)――紅蓮《ぐれん》の井戸堀、焦熱《しょうねつ》の、地獄のかま塗《ぬり》よしなやと、急がぬ道をいつのまに、越ゆる我身の死出の山、死出の田長《たおさ》の田がりよし、野辺《のべ》より先を見渡せば、過ぎし冬至《とうじ》の冬枯の、木《こ》の間《ま》木の間にちらちらと、ぬき身の槍《やり》の恐しや、――
公子 (姿見を覗《のぞ》きつつ、且つ聴きつつ)ああ、いくらか似ている。
博士 ――また冷返《ひえかえ》る夕嵐、雪の松原、この世から、かかる苦患《くげん》におう亡日《もうにち》、島田乱れてはらはらはら、顔にはいつもはんげしょう、縛られし手の冷たさは、我身一つの寒の入《いり》、涙ぞ指の爪とりよし、袖に氷を結びけり。……
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侍女等、傾聴す。
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公子 ただ、いい姿です、美しい形です。世間はそれでその女の罪を責めたと思うのだろうか。
博士 まず、ト見えまするので。
僧都 さようでございます。
公子 馬に騎《の》った女は、殺されて
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