の崕《がけ》を累《かさ》ねた、漆のような波の間を、幽《かすか》に蒼《あお》い灯《ともしび》に照らされて、白馬の背に手綱《たづな》したは、この度迎え取るおもいものなんです。陸に獅子《しし》、虎の狙うと同一《おなじ》に、入道鰐《にゅうどうわに》、坊主鮫《ぼうずざめ》の一類が、美女と見れば、途中に襲撃《おそいう》って、黒髪を吸い、白き乳を裂き、美しい血を呑《の》もうとするから、守備のために旅行さきで、手にあり合せただけ、少数の黒潮騎士を附添わせた。渠等《かれら》は白刃《しらは》を揃えている。
博士 至極《しごく》のお計《はから》いに心得まするが。
公子 ところが、敵に備うるここの守備を出払わしたから不用心じゃ、危険であろう、と僧都が言われる。……それは恐れん、私が居れば仔細《しさい》ない。けれども、また、僧都の言われるには、白衣《びゃくえ》に緋《ひ》の襲《かさね》した女子《おなご》を馬に乗せて、黒髪を槍尖《やりさき》で縫ったのは、かの国で引廻しとか称《とな》えた罪人の姿に似ている、私の手許《てもと》に迎入るるものを、不祥《ふしょう》じゃ、忌《いま》わしいと言うのです。
事実不祥なれば、途中の保護は他にいくらも手段があります。それは構わないが、私はいささかも不祥と思わん、忌わしいと思わない。
これを見ないか。私の領分に入った女の顔は、白い玉が月の光に包まれたと同一《おなじ》に、いよいよ清い。眉は美しく、瞳は澄み、唇の紅は冴《さ》えて、いささかも窶《やつ》れない。憂えておらん。清らかな衣《きもの》を着、新《あらた》に梳《くしけず》って、花に露の点滴《したた》る装《よそおい》して、馬に騎した姿は、かの国の花野の丈《たけ》を、錦の山の懐に抽《ぬ》く……歩行《あるく》より、車より、駕籠《かご》に乗ったより、一層|鮮麗《あざやか》なものだと思う。その上、選抜した慓悍《ひょうかん》な黒潮騎士の精鋭|等《ども》に、長槍をもって四辺《あたり》を払わせて通るのです。得意思うべしではないのですか。
僧都 (頻《しきり》に頭《つむり》を傾く。)
公子 引廻しと聞けば、恥を見せるのでしょう、苦痛を与えるのであろう。槍で囲み、旗を立て、淡く清く装った得意の人を馬に乗せて市《いち》を練って、やがて刑場に送って殺した処で、――殺されるものは平凡に疾病《やまい》で死するより愉快でしょう。――それが何の
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