白いはないか、袖の紅《あか》いはないか、と胴の間《ま》、狭間《はざま》、帆柱の根、錨綱《いかりづな》の下までも、あなぐり探いたものなれども、孫子《まごこ》は措《お》け、僧都においては、久しく心にも掛けませいで、一向に不案内じゃ。
侍女一 (笑う)お精進《しょうじん》でおいで遊ばします。もし、これは、桜貝、蘇芳貝《すおうがい》、いろいろの貝を蕊《しべ》にして、花の波が白く咲きます、その渚《なぎさ》を、青い山、緑の小松に包まれて、大陸の婦《おんな》たちが、夏の頃、百合、桔梗《ききょう》、月見草、夕顔の雪の装《よそおい》などして、旭《あさひ》の光、月影に、遥《はるか》に(高濶《こうかつ》なる碧瑠璃《へきるり》の天井を、髪|艶《つや》やかに打仰ぐ)姿を映します。ああ、風情な。美しいと視《なが》めましたものでございますから、私《わたくし》ども皆が、今夜はこの服装《なり》に揃えました。
僧都 一段とお見事じゃ。が、朝ほど御機嫌伺いに出ました節は、御殿《ごてん》、お腰元衆、いずれも不断の服装《なり》でおいでなされた。その節は、今宵、あの美女がこれへ輿入の儀はまだ極《きま》らなんだ。じたい人間は決断が遅いに因ってな。……それじゃに、かねてのお心掛《こころがけ》か。弥《いや》疾《と》く装《なり》が間に合うたもののう。
侍女一 まあ、貴老《あなた》は。私《わたくし》たちこの玉のような皆《みんな》の膚《はだ》は、白い尾花の穂を散らした、山々の秋の錦《にしき》が水に映ると同《おんな》じに、こうと思えば、ついそれなりに、思うまま、身の装《よそおい》の出来ます体でおりますものを。貴老はお忘れなさいましたか。
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貴老は。……貴老だとて違いはしません。緋《ひ》の法衣《ころも》を召そうと思えば、お思いなさいます、と右左、峯に、一本《ひともと》燃立つような。
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僧都 ま、ま、分った。(腰を屈《かが》めつつ、圧《おさ》うるがごとく掌《たなそこ》を挙げて制す)何とも相済まぬ儀じゃ。海の住居《すまい》の難有《ありがた》さに馴《な》れて、蔭日向《かげひなた》、雲の往来《ゆきき》に、潮《うしお》の色の変ると同様。如意自在《にょいじざい》心のまま、たちどころに身の装《よそおい》の成る事を忘れていました。
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