腰元衆など思うてもみられまい、鉤《はり》の尖《さき》に虫を附けて雑魚《ざこ》一筋を釣るという仙人業《せんにんわざ》をしまするよ。この度の娘の父は、さまでにもなけれども、小船一つで網を打つが、海月《くらげ》ほどにしょぼりと拡げて、泡にも足らぬ小魚を掬《しゃく》う。入《いれ》ものが小さき故に、それが希望《のぞみ》を満しますに、手間の入《い》ること、何ともまだるい。鰯《いわし》を育てて鯨にするより歯痒《はがゆ》い段の行止《ゆきどま》り。(公子に向う)若様は御性急じゃ。早く彼が願《ねがい》を満たいて、誓《ちかい》の美女を取れ、と御意ある。よって、黒潮、赤潮の御手兵をちとばかり動かしましたわ。赤潮の剣《つるぎ》は、炎の稲妻、黒潮の黒い旗は、黒雲の峰を築《つ》いて、沖から※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と浴びせたほどに、一浦《ひとうら》の津波となって、田畑も家も山へ流いた。片隅の美女の家へ、門背戸《かどせど》かけて、畳天井、一斉《いちどき》に、屋根の上の丘の腹まで運込みました儀でござったよ。
侍女三 まあ、お勇ましい。
公子 (少し俯向《うつむ》く)勇ましいではない。家畑を押流して、浦のもの等は迷惑をしはしないか。
僧都 いや、いや、黒潮と赤潮が、密《そ》と爪弾《つまはじ》きしましたばかり。人命を断つほどではござりませなんだ。もっとも迷惑をせば、いたせ、娘の親が人間同士の間《なか》でさえ、自分ばかりは、思い懸けない海の幸を、黄金《こがね》の山ほど掴《つか》みましたに因って、他の人々の難渋ごときはいささか気にも留めませぬに、海のお世子《よとり》であらせられます若様。人間界の迷惑など、お心に掛けさせますには毛頭当りませぬ儀でございます。
公子 (頷《うなず》く)そんなら可《よし》――僧都。
僧都 はは。(更《あらた》めて手を支《つ》く。)
公子 あれの親は、こちらから遣わした、娘の身の代《しろ》とかいうものに満足をしたであろうか。
僧都 御意、満足いたしましたればこそ、当御殿、お求めに従い、美女を沈めました儀にござります。もっとも、真鯛、鰹、真那鰹、その金銀の魚類のみでは、満足をしませなんだが、続いて、三抱え一対の枝珊瑚を、夜の渚に差置きますると、山の端《は》出づる月の光に、真紫に輝きまするを夢のように抱きました時、あれの父親は白砂に領伏《ひれふ》し、波の裙《
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