ぶつぶつ口小言《くちこごと》いひつつありし、他の多くの軍夫らも、鳴《なり》を留めて静まりぬ。されど尽く不穏の色あり。眼光鋭く、意気激しく、いづれも拳《こぶし》に力を籠《こ》めつつ、知らず知らず肱《ひじ》を張りて、強ひて沈静を装ひたる、一室にこの人数を容《い》れて、燈火の光|冷《ひやや》かに、殺気を籠《こ》めて風寒く、満州の天地|初夜《しょや》過ぎたり。
二
時に海野は面《おもて》を正し、警《いまし》むるが如き口気《くちぶり》以て、
「おい、それでは済むまい。よしむば、われわれ同胞が、君に白状をしろといつたからツて、日本人だ。むざむざ饒舌《しゃべ》るといふ法はあるまいぢやないか、骨が砂利にならうとままよ。それをさうやすやすと、知つてれば白状したものをなんのツて、面と向つてわれわれにいはれた道理《ぎり》か。え? どうだ。いはれた義理《ぎり》ではなからうでないか。」
看護員は身を斜《なな》めにして、椅子に片手を投懸けつつ、手にせる鉛筆を弄《もてあそ》びて、
「いや。しかし大きに左様《そう》かも知れません。」
と片頬《かたほ》を見せて横を向きぬ。
海野は※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りたる眼《まなこ》を以て、避けし看護員の面《おもて》を追ひたり。
「何だ、左様かも知れません? これ、無責任の言語を吐いちやあ不可《いかん》ぞ。」
またじりりと詰寄りぬ。看護員はやや俯向《うつむ》きつ。手なる鉛筆の尖《さき》を嘗《な》めて、筒服《ズボン》の膝《ひざ》に落書《らくがき》しながら、
「無責任? 左様ですか。」
渠《かれ》は少しも逆らはず、はた意に介せる状《さま》もなし。
百人長は大に急《せ》きて、
「唯《ただ》(左様ですか)では済まん。様子に寄つてはこれ、きつとわれわれに心得がある。しつかり性根《しょうね》を据《す》へて返答せないか。」
「何様《どん》な心得があるのです。」
看護員は顔を上げて、屹《きっ》と海野に眼を合せぬ。
「一体、自分が通行をしてをる処を、何か待伏《まちぶせ》でもなすつたやうでしたな。貴下方《あなたがた》大勢で、自分を担《かつ》ぐやうにして、此家《ここ》へ引込《ひっこ》むだはどういふわけです。」
海野は今この反問に張合を得たりけむ、肩を揺《ゆす》りて気兢《きお》ひ懸れり。
「うむ、聞きたいことがあるからだ。心得はある。心得はあるが、先《ま》づ聞くことを聞いてからのこととしやう。」
「は、それでは何か誰ぞの吩附《いいつけ》ででもあるのですか。」
海野は傲然《ごうぜん》として、
「誰が人に頼まれるもんか。吾《おれ》の了簡で吾が聞くんだ。」
看護員はそとその耳を傾けたり。
「ぢやあ貴下方に、他《ひと》を尋問する権利があるので?」
百人長は面《おもて》を赤うし、
「囀《さえず》るない!」
と一声高く、頭がちに一呵《いっか》しつ。驚破《すわ》といはば飛蒐《とびかか》らむず、気勢《きおい》激しき軍夫らを一わたりずらりと見渡し、その眼を看護員に睨返《ねめかえ》して、
「権利はないが、腕力じゃ!」
「え、腕力?」
看護員は犇々《ひしひし》とその身を擁《よう》せる浅黄《あさぎ》の半被《はっぴ》股引《ももひき》の、雨風に色褪《いろあ》せたる、譬《たと》へば囚徒の幽霊の如き、数個《すか》の物体を※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《みま》はして、秀《ひい》でたる眉《まゆ》を顰《ひそ》めつ。
「解りました。で、そのお聞きにならうといふのは?」
「知れてる! 先刻《さっき》からいふ通りだ。何故《なぜ》、君には国家といふ観念がないのか。痛いめを見るがつらいから、敵に白状をしやうと思ふ。その精神が解らない。(いや、左様かも知れません)なんざ、無責任極まるでないか。そんなぬらくらじや了見せんぞ、しつかりと返答しろ。」
咄々《とつとつ》迫る百人長は太き仕込杖《しこみづえ》を手にしたり。
「それでどういへば無責任にならないです?」
「自分でその罪を償ふのだ。」
「それではどうして償ひましやう。」
「敵状をいへ! 敵状を。」
と海野は少し色解《いろとけ》てどかと身重《みおも》げに椅子に凭《よ》れり。
「聞けば、君が、不思議に敵陣から帰つて来て、係りの将校が、君の捕虜になつてゐた間の経歴について、尋問があつた時、特に敵情を語れといふ、命令があつたそうだが、どういふものか君は、知らない、存じませんの一点張で押通《おっとお》して、つまりそれなりで済《す》むだといふが。え、君、二月《ふたつき》も敵陣にゐて、敵兵の看護をしたといふでないか。それで、懇篤《こんとく》で、親切で、大層奴らのために尽力をしたさうで、敵将が君を帰す時、感謝状を送つたさうだ。その位信任をされてをれば、種々《いろいろ》内幕も聞
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