ません。で、とうとう聞かさないでしまひましたが、いや、実に弱つたです。困りましたな、どうも支那人の野蛮なのにやあ。何しろ、まるでもつて赤十字なるものの組織を解さないで、自分らを何がなし、戦闘員と同一《おんなじ》に心得てるです。仕方がありませんな。」
とあだかも親友に対して身《み》の上《うえ》談話《ばなし》をなすが如く、渠《かれ》は平気に物語れり。
しかるに海野はこれを聞きて、不心服《ふしんぷく》なる色ありき。
「ぢやあ何だな、知つてれば味方の内情を、残らず饒舌《しゃべ》ツちまう処《ところ》だつたな。」
看護員は軽《かろ》く答へたり。
「いかにも。拷問が酷かつたです。」
百人長は憤然《むっ》として、
「何だ、それでも生命《いのち》があるでないか、譬《たと》ひ肉が爛《ただ》れやうが、さ、皮が裂けやうがだ、呼吸《いき》があつたくらゐの拷問なら大抵《たいてい》知れたもんでないか。それに、苟《いやしく》も神州男児で、殊《こと》に戦地にある御互《おたがい》だ。どんなことがあらうとも、いふまじきことを、何、撲《なぐ》られた位で痛いといふて、味方の内情を白状しやうとする腰抜が何処《どこ》にあるか。勿論、白状はしなかつたさ。白状はしなかつたに違《ちがい》ないが、自分で、知つてればいはうといふのが、既に我が同胞《どうぼう》の心でない、敵に内通も同一《おんなじ》だ。」
といひつつ海野は一歩を進めて、更に看護員を一睨《いちげい》せり。
看護員は落着|済《す》まして、
「いや、自分は何も敵に捕へられた時、軍隊の事情をいつては不可《いけ》ぬ、拷問《ごうもん》を堅忍して、秘密を守れといふ、訓令を請《う》けた事もなく、それを誓つた覚《おぼえ》もないです。また全く左様《そう》でしやう、袖《そで》に赤十字の着いたものを、戦闘員と同一《おんなじ》取扱をしやうとは、自分はじめ、恐らく貴下方《あなたがた》にしても思懸《おもいがけ》はしないでせう。」
「戦地だい、べらぼうめ。何を! 呑気《のんき》なことをいやがんでい。」
軍夫の一人つかつかと立懸《たちかか》りぬ。百人長は応揚《おうよう》に左手《ゆんで》を広げて遮《さえぎ》りつつ、
「待て、ええ、屁《へ》でもない喧嘩《けんか》と違うぞ。裁判だ。罪が極《きま》つてから罰することだ。騒ぐない。噪々《そうぞう》しい。」
軍夫は黙して退《しりぞ》きぬ。
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