《いいわけ》もあるんだが、刻苦《こっく》して探つても敵の用心が厳しくつて、残念ながら分らなかつたといふならまだも恕《じょ》すべきであるに、先に将校に検《しら》べられた時も、前刻《さっき》吾《おれ》が聞いた時も、いひやうもあらうものを、敵情なんざ聞かうとも、見やうとも思はなかつたは、実に驚く。しかも敵兵の介抱が急がしいので、其様《そんな》ことあ考へてる隙《ひま》もなかつたなんぞと、憶面《おくめん》もなくいふ如きに至つては言語同断《ごんごどうだん》といはざるを得ん。国賊だ、売国奴だ、疑つて見た日にやあ、敵に内通をして、我軍の探偵に来たのかも知れない、と言はれた処で仕方がないぞ。」
五
「さもなければ、あの野蛮な、残酷な敵がさうやすやす捕虜《とりこ》を返す法はない。しかしそれには証拠がない、強《しい》て敵に内通をしたとはいはん、が、既に国民の国民たる精神のない奴を、そのままにして見遁《みの》がしては、我軍の元気の消長に関するから、屹《きっ》と改悟の点を認むるか、さもなくば相当の制裁を加へなければならん。勿論軍律を犯したといふでもないから、将校方は何の沙汰《さた》をもせられなかつたのであらう。けれどもが、われわれ父母妻子をうつちやつて、御国《みくに》のために尽さうといふ愛国の志士が承知せん。この室にゐるものは、皆な君の所置ぶりに慊焉《けんえん》たらざるものがあるから、将校方は黙許なされても、其様《そん》な国賊は、屹《きっ》と談じて、懲戒を加ゆるために、おのおの決する処があるぞ。可《いい》か。その悪《にく》むべき感謝状を、かういつた上でも、裂いて棄てんか。やつぱり疚《や》ましいことはないが、些少《ちょっと》も良心が咎《とが》めないか、それが聞きたい。ぬらくらの返事をしちやあ不可《いかん》ぞ。」
看護員は傾聴して、深くその言《ことば》を味ひつつ、黙然として身動きだもせず、良《やや》猶予《ためら》ひて言《ものい》はざりき。
こなたはしたり顔に附入《つけい》りぬ。
「屹《きっ》と責任のある返答を、此室《ここ》にゐる皆《みんな》に聞かしてもらはう。」
いひつつ左右を※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《みまわ》したり。
軍夫の一人は叫び出《いだ》せり。「先生。」
渠《かれ》らは親方といはざりき。海野は老壮士なればなり。
「先生、はやくしておくむなせえ
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