うしてそんなだろうねえ。お前さんぐらいな年紀恰好《としかっこう》じゃ、小児《こども》の持っているものなんか、引奪《ひったく》っても自分が欲《ほし》い時だのに、そうやってちっとずつ皆《みんな》から貰《もら》うお小遣で、あの児《こ》に何か買ってくれてさ。姉《ねえ》さん、しみじみ嬉しいけれど、ほんとに三ちゃん、お前さん、お食《あが》りなら可《い》い、気の毒でならないもの。」
 奴《やっこ》は嬉しそうに目を下げて、
「へへ、何、ねえだよ、気の毒な事はちっともねえだよ。嫁さんが食べる方が、己《おら》が自分で食べるより旨《うま》いんだからな。」
「あんなことをいうんだよ。」
 と女房は顔を上げて莞爾《にっこり》と、
「何て情があるんだろう。」
 熟《じっ》と見られて独《ひとり》で頷《うなず》き、
「だって、男は誰でもそうだぜ。兄哥《あにや》だってそういわあ。船で暴風雨《あらし》に濡れてもな、屋根代の要らねえ内で、姉《あね》さんやお浜ッ児《こ》が雨露に濡れねえと思や、自分が寒い気はしねえとよ。」
「嘘ばッかり。」
 と対手《あいて》が小児《こども》でも女房は、思わずはっと赧《あか》らむ顔。
「嘘じゃねえだよ、その代《かわり》にゃ、姉さんもそうやって働いてるだ。
 なあ姉さん、己《おら》が嫁さんだって何だぜ、己が漁に出掛けたあとじゃ、やっぱり、張《はり》ものをしてくんねえじゃ己|厭《いや》だぜ。」
「ああ、しましょうとも、しなくってさ、おほほ、三ちゃん、何を張るの。」
「え、そりゃ、何だ、またその時だ、今は着たッきりで何にもねえ。」
 と面くらった身のまわり、はだかった懐中《ふところ》から、ずり落ちそうな菓子袋を、その時縁へ差置くと、鉄砲玉が、からからから。
「号外、号外ッ、」と慌《あわただ》しく這身《はいみ》で追掛けて平手で横ざまにポンと払《はた》くと、ころりとかえるのを、こっちからも一ツ払いて、くるりとまわして、ちょいとすくい、
「は、」
 とかけ声でポンと口。
「おや、御馳走様《ごちそうさま》ねえ。」
 三之助はぐッと呑《の》んで、
「ああ号外、」と、きょとりとする。
 女房は濡れた手をふらりとさして、すッと立った。
「三ちゃん。」
「うむ、」
「お前さん、その三尺は、大層色気があるけれど、余りよれよれになったじゃないか、ついでだからちょいとこの端へはっておいて上げましょう。」
「何こんなものを。」
 とあとへ退《すさ》り、
「いまに解きます繻子《しゅす》の帯……」
 奴《やっこ》は聞き覚えの節になり、中音でそそりながら、くるりと向うむきになったが早いか、ドウとしたたかな足踏《あしぶみ》して、
「わい!」
 日向《ひなた》へのッそりと来た、茶の斑犬《ぶち》が、びくりと退《すさ》って、ぱっと砂、いや、その遁《に》げ状《ざま》の慌《あわただ》しさ。

       四

「状《ざま》を見ろ、弱虫め、誰だと思うえ、小烏の三之助だ。」
 と呵々《からから》と笑って大得意。
「吃驚《びっくり》するわね、唐突《だしぬけ》に怒鳴ってさ、ああ、まだ胸がどきどきする。」
 はッと縁側に腰をかけた、女房は草履の踵《かかと》を、清くこぼれた褄《つま》にかけ、片手を背後《うしろ》に、あらぬ空を視《なが》めながら、俯向《うつむ》き通しの疲れもあった、頻《しきり》に胸を撫擦《なでさす》る。
「姉《あね》さんも弱虫だなあ。東京から来て大尽のお邸《やしき》に、褄を引摺《ひきず》っていたんだから駄目だ、意気地はねえや。」
 女房は手拭を掻《か》い取ったが、目《ま》ぶちのあたりほんのりと、逆上《のぼ》せた耳にもつれかかる、おくれ毛を撫でながら、
「厭《いや》な児《こ》だよ、また裾《すそ》を、裾をッて、お引摺りのようで人聞きが悪いわね。」
「錦絵《にしきえ》の姉様《あねさま》だあよ、見ねえな、皆《みんな》引摺ってら。」
「そりゃ昔のお姫様さ。お邸は大尽の、稲葉様の内だって、お小間づかいなんだもの、引摺ってなんぞいるものかね。」
「いまに解きます繻子《しゅす》の帯とけつかるだ。お姫様だって、お小間使だって、そんなことは構わねえけれど、船頭のおかみさんが、そんな弱虫じゃ不可《いけ》ねえや、ああ、お浜ッ児《こ》はこうは育てたくないもんだ。」と、機械があって人形の腹の中で聞えるような、顔には似ない高慢さ。
 女房は打笑みつつ、向直って顔を見た。
「ほほほ、いうことだけ聞いていると、三ちゃんは、大層強そうだけれど、その実意気地なしッたらないんだもの、何よ、あれは?」
「あれはッて?」と目をぐるぐる。
「だって、源次さん千太さん、理右衛門爺《りえもんじい》さんなんかが来ると……お前さん、この五月ごろから、粋《いき》な小烏といわれないで、ベソを掻いた三之助だ、ベソ三だ、ベソ三だ。ついでに
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