上《はいあが》りそうな形よ、それで片っぺら燃えのびて、おらが持っている艪《ろ》をつかまえそうにした時、おらが手は爪の色まで黄色くなって、目の玉もやっぱりその色に染まるだがね。だぶりだぶり舷《ふなべり》さ打つ波も船も、黄色だよ。それでな、姉《あね》さん、金色になって光るなら、金《かね》の船で大丈夫というもんだが、あやかしだからそうは行かねえ。
時々|煙《けむ》のようになって船の形が消えるだね。浪が真黒《まっくろ》に畝ってよ、そのたびに化物め、いきをついてまた燃えるだ。
おら一生懸命に、艪で掻《かき》のめしてくれたけれど、火の奴は舵にからまりくさって、はあ、婦人《おんな》の裾が巻きついたようにも見えれば、爺《じじい》の腰がしがみついたようでもありよ。大きい鮟鱇《あんこう》が、腹の中へ、白張提灯《しらはりぢょうちん》鵜呑《うの》みにしたようにもあった。
こん畜生、こん畜生と、おら、じだんだを蹈《ふ》んだもんだで、舵へついたかよ、と理右衛門爺《りえむじい》さまがいわっしゃる。ええ、引《ひっ》からまって点《とも》れくさるだ、というたらな。よくねえな、一あれ、あれようぜ、と滅入《めい》った声で松公がそういっけえ。
奴《やっこ》や。
ひゃあ。
そのあやし火の中を覗《のぞ》いて見ろい、いかいこと亡者《もうじゃ》が居らあ、地獄の状《さま》は一見えだ、と千太どんがいうだあね。
小児《こども》だ、馬鹿をいうない、と此家《ここ》の兄哥《あにや》がいわしっけ。
おら堪《たま》んなくなって、ベソを掻き掻き、おいおい恐怖《こわ》くって泣き出したあだよ。」
いわれはかくと聞えたが、女房は何にもいわず、唇の色が褪《あ》せていた。
「苫《とま》を上げて、ぼやりと光って、こんの兄哥の形がな、暗中《くらやみ》へ出さしった。
おれに貸せ、奴《やっこ》寝ろい。なるほどうっとうしく憑《つ》きやあがるッて、ハッと掌《てのひら》へ呼吸《いき》を吹かしったわ。
一しけ来るぞ、騒ぐな、といって艪づかさ取って、真直《まっすぐ》に空を見さしったで、おらも、ひとりでにすッこむ天窓《あたま》[#ルビの「あたま」は底本では「あまた」]を上げて視《なが》めるとな、一面にどす赤く濁って来ただ。波は、そこらに真黒《まっくろ》な小山のような海坊主が、かさなり合って寝てるようだ。
おら胴の間へ転げ込んだよ。ここにもごろごろと八九人さ、小さくなってすくんでいるだね。
どこだも知んねえ海の中に、船さただ一|艘《そう》で、目の前さ、化物に取巻かれてよ、やがて暴風雨《あらし》が来ようというだに、活《い》きて働くのはこんの兄哥、ただ一人だと思や心細いけんどもな、兄哥は船頭、こんな時のお船頭だ。」
女房は引入れられて、
「まあ、ねえ、」とばかり深い息。
奴《やっこ》は高慢に打傾き、耳に小さな手を翳《かざ》して、
「轟《ごう》――とただ鳴るばかりよ、長延寺様さ大釣鐘を半日|天窓《あたま》から被《かぶ》ったようだね。
うとうととこう眠ったっぺ。相撲を取って、ころり投げ出されたと思って目さあけると、船の中は大水だあ。あかを汲《く》み出せ、大変だ、と船も人もくるくる舞うだよ。
苫《とま》も何も吹飛ばされた、恐しい音ばかりで雨が降るとも思わねえ、天窓《あたま》から水びたり、真黒な海坊主め、船の前へも後へも、右へも左へも五十三十。ぬくぬくと肩さ並べて、手を組んで突立《つった》ったわ、手を上げると袖の中から、口い開《あ》くと咽喉《のど》から湧《わ》いて、真白《まっしろ》な水柱《みずばしら》が、から、倒《さかさま》にざあざあと船さ目がけて突蒐《つっかか》る。
アホイ、ホイとどこだやら呼ばる声さ、あちらにもこちらにも耳について聞えるだね。」
九
「その時さ、船は八丁艪《はっちょうろ》になったがな、おららが呼ばる声じゃねえだ。
やっぱりおなじ処に、舵《かじ》についた、あやし火のあかりでな、影のような船の形が、薄ぼんやり、鼠色して煙《けむ》が吹いて消える工合《ぐあい》よ、すッ飛んじゃするすると浮いて行《ゆ》く。
難有《ありがて》え、島が見える、着けろ着けろ、と千太が喚《わめ》く。やあ、どこのか船も漕《こ》ぎつけた、島がそこに、と理右衛門爺《りえむじい》さま。直《じき》さそこに、すくすくと山の形さあらわれて、暗《やみ》の中|突貫《つきぬ》いて大幅な樹の枝が、※[#「さんずい+散」、288−10]のあいだに揺《ゆす》ぶれてな、帆柱さ突立《つった》って、波の上を泳いでるだ。
血迷ったかこいつら、爺様までが何をいうよ、島も山も、海の上へ出たものは石塊《いしころ》一ツある処じゃねえ。暗礁《かくれいわ》へ誘い寄せる、連《つれ》を呼ぶ幽霊船《ゆうれいぶね》だ。気を確《たしか》に持たっせえ
前へ
次へ
全12ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング