「あの、なりたけ、早くなさいましよ、もう追ッつけ帰りましょう。内のはいっこくで、気が強いんでござんすから、知らない方をこうやって、また間違いにでもなると不可《いけ》ません、ようござんすか。」
 と茶碗に堆《うずたか》く装《も》ったのである。
 その時、間《ま》の四隅を籠《こ》めて、真中処《まんなかどころ》に、のッしりと大胡坐《おおあぐら》でいたが、足を向うざまに突き出すと、膳はひしゃげたように音もなく覆《くつがえ》った。
「あれえ、」
 と驚いて女房は腰を浮かして遁《に》げさまに、裾《すそ》を乱して、ハタと手を支《つ》き、
「何ですねえ。」
 僧は大いなる口を開けて、また指した。その指で、かかる中《うち》にも袖で庇《かば》った、女房の胸をじりりとさしつつ、
(児《こ》を呉《く》れい。)
 と聞いたと思うと、もう何にも知らなかった。
 我に返って、良人の姿を一目見た時、ひしと取縋《とりすが》って、わなわなと震えたが、余り力強く抱いたせいか、お浜は冷《つめた》くなっていた。
 こんな心弱いものに留守をさせて、良人が漁《すなど》る海の幸よ。
 その夜はやがて、砂白く、崖《がけ》蒼《あお》き、玲瓏《れいろう》たる江見の月に、奴《やっこ》が号外、悲しげに浦を駈《か》け廻って、蒼海《わたつみ》の浪ぞ荒かりける。
[#地から1字上げ]明治三十九年(一九〇六)年一月



底本:「泉鏡花集成4」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年10月24日第1刷発行
   2004(平成16)年3月20日第2刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第九卷」岩波書店
   1942(昭和17)年3月30日発行
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年6月26日作成
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