じょうじゅぶつしん》とあるまでを幾度《いくたび》となく繰返す。連夜の川施餓鬼《かわせがき》は、善か悪か因縁があろうと、この辺では噂《うわさ》をするが、十年は一昔、二昔も前から七兵衛を知ってるものも別に仔細《しさい》というほどのことを見出さない。本人も語らず、またかかる善根功徳、人が咎《とが》めるどころの沙汰《さた》ではない、もとより起居に念仏を唱える者さえある、船で題目を念ずるに仔細は無かろう。
されば今宵《こよい》も例に依って、船の舳《へさき》を乗返した。
腰を捻《ひね》って、艪柄《ろづか》を取って、一ツおすと、岸を放れ、
「ああ、良《い》い月だ、妙法蓮華経如来《みょうほうれんげきょうにょらい》寿量品第十六自我得仏来、所経諸劫数《しょきょうしょごうすう》、無量百千万億載阿僧祇《むりょうひゃくせんまんおくさいあそうぎ》、」と誦《じゅ》しはじめた。風も静《しずか》に川波の声も聞えず、更け行《ゆ》くにつれて、三押《みおし》に一度、七押に一度、ともすれば響く艪の音かな。
「常説法教化無数億衆生爾来無量劫《じょうせっぽうきょうげむすうおくしゅじょうじらいむりょうごう》。」
法《のり》の声は、蘆《あし》を渡り、柳に音ずれ、蟋蟀《きりぎりす》の鳴き細る人の枕に近づくのである。
本所ならば七不思議の一ツに数えよう、月夜の題目船《だいもくぶね》、一人船頭。界隈《かいわい》の人々はそもいかんの感を起す。苫家《とまや》、伏家《ふせや》に灯《ともしび》の影も漏れない夜《よ》はさこそ、朝々の煙も細くかの柳を手向けられた墓のごとき屋根の下には、子なき親、夫なき妻、乳のない嬰児《みどりご》、盲目《めくら》の媼《おうな》、継母、寄合身上《よりあいしんしょう》で女ばかりで暮すなど、哀《あわれ》に果敢《はか》ない老若男女《ろうにゃくなんにょ》が、見る夢も覚めた思いも、大方この日が照る世の中のことではあるまい。
髯《ひげ》ある者、腕車《くるま》を走らす者、外套《がいとう》を着たものなどを、同一《おなじ》世に住むとは思わず、同胞《はらから》であることなどは忘れてしまって、憂きことを、憂しと識別することさえ出来ぬまで心身ともに疲れ果てたその家この家に、かくまでに尊い音楽はないのである。
「衆生既信伏質直意柔軟《しゅじょうきしんぷくしちじきいにゅうなん》、一心欲見仏《いっしんよくけんぶつ》、不自惜身命《ふじじゃくしんみょう》、」と親仁は月下に小船を操る。
諸君が随処、淡路島通う千鳥の恋の辻占《つじうら》というのを聞かるる時、七兵衛の船は石碑のある処へ懸《かか》った。
いかなる人がこういう時、この声を聞くのであるか? ここに適例がある、富岡門前町のかのお縫が、世話をしたというから、菊枝のことについて記すのにちっとも縁がないのではない。
幕府の時分旗本であった人の女《むすめ》で、とある楼《うち》に身を沈めたのが、この近所に長屋を持たせ廓《くるわ》近くへ引取って、病身な母親と、長煩いで腰の立たぬ父親とを貢いでいるのがあった。
八
少なからぬ借金で差引かれるのが多いのに、稼高《かせぎだか》の中から渡される小遣《こづかい》は髪結《かみゆい》の祝儀にも足りない、ところを、たといおも湯にしろ両親が口を開けてその日その日の仕送《しおくり》を待つのであるから、一月と纏《まと》めてわずかばかりの額ではないので、毎々|借越《かりこし》にのみなるのであったが、暖簾名《のれんな》の婦人《おんな》と肩を並べるほど売れるので、内証で悪《にく》い顔もしないで無心に応じてはいたけれども、応ずるは売れるからで、売るのには身をもって勤めねばならないとか。
いかに孝女でも悪所において斟酌《しんしゃく》があろうか、段々|身体《からだ》を衰えさして、年紀《とし》はまだ二十二というのに全盛の色もやや褪《あ》せて、素顔では、と源平の輩《やから》に遠慮をするようになると、二度三度、月の内に枕が上らない日があるようになった。
扱帯《しごき》の下を氷で冷すばかりの容体を、新造《しんぞ》が枕頭《まくらもと》に取詰めて、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭《てぬぐい》で汗を拭《ふ》く度に肉が殺《そ》げて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は御全盛のお庇《かげ》に、と小刀針《こがたなばり》で自分が使う新造《もの》にまでかかることを言われながら、これにはまた立替えさしたのが、控帳についてるので、悔しい口も返されない。
という中にも、随分気の確《たしか》な女、むずかしく謂えば意志が強いという質《たち》で、泣かないが蒼《あお》くなる風だったそうだから、辛抱はするようなものの、手元が詰《つま》るに従うて謂うまじき無
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