》かえ、棹《さお》を引いて横づけにする、水は船底を嘗《な》めるようにさらさらと引いて石垣へだぶり。
「当りますよ。」
「活きてるか、これ、」
二度まで揺《ゆす》られても人心地のないようだった一名は、この時わけもなくむっくと起きて、真先《まっさき》に船から出たのである。
「待て、」といいつつ両人、懐をおさえ、褄《つま》を合わせ、羽織の紐《ひも》を〆《し》めなどして、履物を穿《は》いてばたばたと陸《おか》へ上《あが》って、一団《ひとかたまり》になると三人言い合せたように、
「寒い。」
「お静《しずか》に。」といって、船頭は何か取ろうとして胴の間の処へ俯向《うつむ》く。
途端であった。
耳許《みみもと》にドンと一発、船頭も驚いてしゃっきり立つと、目の前《さき》へ、火花が糸を引いて※[#「火+發」、422−15]《ぱっ》と散って、川面《かわづら》で消えたのが二ツ三ツ、不意に南京《なんきん》花火を揚げたのは寝ていたかの男である。
斉《ひと》しく左右へ退《の》いて、呆気《あっけ》に取られた連《つれ》の両人《ふたり》を顧みて、呵々《からから》と笑ってものをもいわず、真先《まっさき》に立って、
鞭声《べんせい》粛々!――
題目船
七
「何じゃい。」と打棄《うっちゃ》ったように忌々《いまいま》しげに呟《つぶや》いて、頬冠《ほおかぶり》を取って苦笑《にがわらい》をした、船頭は年紀《とし》六十ばかり、痩《や》せて目鼻に廉《かど》はあるが、一癖も、二癖も、額、眦《まなじり》、口許《くちもと》の皺《しわ》に隠れてしおらしい、胡麻塩《ごましお》の兀頭《はげあたま》、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居《ひとりずまい》の、七兵衛という親仁《おやじ》である。
七兵衛――この船頭ばかりは、仕事の了《しまい》にも早船をここへ繋《つな》いで戻りはせぬ。
毎夜、弁天橋へ最後の船を着けると、後へ引返《ひっかえ》してかの石碑の前を漕《こ》いで、蓬莱橋まで行ってその岸の松の木に纜《もや》っておいて上《あが》るのが例《ならい》で、風雨の烈《はげ》しい晩、休む時はさし措《お》き、年月夜ごとにきっとである。
且つ仕舞船を漕ぎ戻すに当っては名代の信者、法華経第十六|寿量品《じゅりょうぼん》の偈《げ》、自我得仏来《じがとくぶつらい》というはじめから、速成就仏身《そく
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