港に何某《なにがし》とて、器具商があって、それにも工賃の貸がある……懸《かけ》を乞いに出たのであった――
 若いものの癖として、出たとこ勝負の元気に任せて、影も見ないで、日盛《ひざかり》を、松並木の焦げるがごとき中途に来た。
 暑さに憩うだけだったら、清水にも瓜にも気兼《きがね》のある、茶店の近所でなくっても、求むれば、別なる松の下蔭もあったろう。
 渠《かれ》はひもじい腹も、甘くなるまで、胸に秘めた思《おもい》があった。
 判官の人待石。
 それは、その思を籠《こ》むる、宮殿の大なる玉の床と言っても可《よ》かろう。

       四

 金石街道の松並木、ちょうどこの人待石から、城下の空を振向くと、陽春三四月の頃は、天の一方をぽっと染めて、銀河《あまのがわ》の横たうごとき、一条《ひとすじ》の雲ならぬ紅《くれない》の霞が懸《かか》る。……
 遠山の桜に髣髴《ほうふつ》たる色であるから、花の盛《さかり》には相違ないが、野山にも、公園にも、数の植わった邸町《やしきまち》にも、土地一統が、桜の名所として知った場所に、その方角に当っては、一所《ひとところ》として空に映るまで花の多い処はない。……霞の滝、かくれ沼、浮城《うきしろ》、もの語《がたり》を聞くのと違って、現在、誰の目にも視《なが》めらるる。
 見えつつ、幻影《まぼろし》かと思えば、雲のたたずまい、日の加減で、その色の濃い事は、一斉《いっとき》に緋桃《ひもも》が咲いたほどであるから、あるいは桃だろうとも言うのである。
 紫の雲の、本願寺の屋の棟にかかるのは引接《いんじょう》の果報ある善男善女でないと拝まれない。が紅の霞はその時節にここを通る鰯売《いわしうり》鯖売《さばうり》も誰知らないものはない。
 深秘な山には、谷を隔てて、見えつつ近づくべからざる巨木名花があると聞く。……いずれ、佐保姫の妙《たえ》なる袖の影であろう。
 花の蜃気楼《しんきろう》だ、海市《かいし》である……雲井桜と、その霞を称《たた》えて、人待石に、氈《せん》を敷き、割籠《わりご》を開いて、町から、特に見物が出るくらい。
 けれども人々は、ただ雲を掴《つか》んで影を視《なが》めるばかりなのを……謹三は一人その花吹く天《そら》――雲井桜を知っていた。
 夢ではない。……得《え》忘るまじく可懐《なつか》しい。ただ思うにさえ、胸の時めく里である。
 この年の春の末であった。――
 雀を見ても、燕《つばくろ》を見ても、手を束《つか》ねて、寺に籠《こも》ってはいられない。その日の糧《かて》の不安さに、はじめはただ町や辻をうろついて廻ったが、落穂のないのは知れているのに、跫音《あしおと》にも、けたたましく驚かさるるのは、草の鶉《うずら》よりもなお果敢《はか》ない。
 詮方《せんかた》なさに信心をはじめた。世に人にたすけのない時、源氏も平家も、取縋《とりすが》るのは神仏《かみほとけ》である。
 世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端《まちはずれ》から、山裾《やますそ》の浅い谿《たに》に、小流《こながれ》の畝々《うねうね》と、次第|高《だか》に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公《せいしょうこう》、弁財天、鬼子母神《きしぼじん》、七面大明神、妙見宮《みょうけんぐう》、寺々に祭った神仏を、日課のごとく巡礼した。
「……御飯が食べられますように、……」
 父が存生《ぞんしょう》の頃は、毎年、正月の元日には雪の中を草鞋穿《わらじばき》でそこに詣《もう》ずるのに供をした。参詣《さんけい》が果てると雑煮を祝って、すぐにお正月が来るのであったが、これはいつまでも大晦日《おおみそか》で、餅どころか、袂《たもと》に、煎餅《せんべい》も、榧《かや》の実もない。
 一《ある》寺に北辰《ほくしん》妙見宮のまします堂は、森々《しんしん》とした樹立《こだち》の中を、深く石段を上る高い処にある。
「ぼろきてほうこう。ぼろきてほうこう。」
 昼も梟《ふくろう》が鳴交わした。
 この寺の墓所《はかしょ》に、京の友禅とか、江戸の俳優|某《なにがし》とか、墓があるよし、人伝《ひとづて》に聞いたので、それを捜すともなしに、卵塔《らんとう》の中へ入った。
 墓は皆暗かった、土地は高いのに、じめじめと、落葉も払わず、苔《こけ》は萍《うきぐさ》のようであった。
 ふと、生垣を覗《のぞ》いた明《あかる》い綺麗な色がある。外の春日《はるび》が、麗《うらら》かに垣の破目《やれめ》へ映って、娘が覗くように、千代紙で招くのは、菜の花に交《まじ》る紫雲英《げんげ》である。……
 少年の瞼《まぶた》は颯《さっ》と血を潮《さ》した。
 袖さえ軽い羽かと思う、蝶に憑《つ》かれたようになって、垣の破目をするりと抜けると、出た処の狭い路《みち》は、飛々《とびとび》の草鞋のあと、まばらの馬の沓《くつ》の形《かた》を、そのまま印して、乱れた亀甲形《きっこうがた》に白く乾いた。それにも、人の往来《ゆきき》の疎《まばら》なのが知れて、隈《くま》なき日当りが寂寞《ひっそり》して、薄甘く暖い。
 怪しき臭気《におい》、得《え》ならぬものを蔽《おお》うた、藁《わら》も蓆《むしろ》も、早や路傍《みちばた》に露骨《あらわ》ながら、そこには菫《すみれ》の濃いのが咲いて、淡《うす》いのが草まじりに、はらはらと数に乱れる。
 馬の沓形《くつがた》の畠やや中窪《なかくぼ》なのが一面、青麦に菜を添え、紫雲英を畔《くろ》に敷いている。……真向うは、この辺一帯に赤土山の兀《は》げた中に、ひとり薄萌黄《うすもえぎ》に包まれた、土佐絵に似た峰である。
 と、この一廓《ひとくるわ》の、徽章《きしょう》とも言《いっ》つべく、峰の簪《かざし》にも似て、あたかも紅玉を鏤《ちりば》めて陽炎《かげろう》の箔《はく》を置いた状《さま》に真紅に咲静まったのは、一株の桃であった。
 綺麗さも凄《すご》かった。すらすらと呼吸《いき》をする、その陽炎にものを言って、笑っているようである。
 真赤《まっか》な蛇が居ようも知れぬ。
 が、渠《かれ》の身に取っては、食に尽きて倒るるより、自然《ひとりで》に死ぬなら、蛇に巻かれたのが本望であったかも知れぬ。
 袂《たもと》に近い菜の花に、白い蝶が来て誘う。
 ああ、いや、白い蛇であろう。
 その桃に向って、行《ゆ》きざまに、ふと見ると、墓地《はかち》の上に、妙見宮の棟の見ゆる山へ続く森の裏は、山際から崕上《がけうえ》を彩って――はじめて知った――一面の桜である。……人は知るまい……一面の桜である。
 行《ゆ》くに従うて、路は、奥拡がりにぐるりと山の根を伝う。その袂にも桜が充《み》ちた。
 しばらく、青麦の畠になって、紫雲英で輪取る。畔づたいに廻りながら、やがて端へ出て、横向に桃を見ると、その樹のあたりから路が坂に低くなる、両方は、飛々|差覗《さしのぞ》く、小屋、藁屋を、屋根から埋《うず》むばかり底広がりに奥を蔽《おお》うて、見尽されない桜であった。
 余りの思いがけなさに、渠は寂然《じゃくねん》たる春昼をただ一人、花に吸われて消えそうに立った。
 その日は、何事もなかった――もとの墓地を抜けて帰った――ものに憑《つ》かれたようになって、夜《よ》はおなじ景色を夢に視《み》た。夢には、桜は、しかし桃の梢《こずえ》に、妙見宮の棟下りに晃々《きらきら》と明星が輝いたのである。
 翌日《あくるひ》も、翌日も……行ってその三度《みたび》の時、寺の垣を、例の人里へ出ると斉《ひと》しく、桃の枝を黒髪に、花菜を褄《つま》にして立った、世にも美しい娘を見た。
 十六七の、瓜実顔《うりざねがお》の色の白いのが、おさげとかいう、うしろへさげ髪にした濃い艶《つや》のある房《ふっさ》りした、その黒髪の鬢《びん》が、わざとならずふっくりして、優しい眉の、目の涼しい、引しめた唇の、やや寂しいのが品がよく、鼻筋が忘れたように隆《たか》い。
 縞目《しまめ》は、よく分らぬ、矢絣《やがすり》ではあるまい、濃い藤色の腰に、赤い帯を胸高《むなだか》にした、とばかりで袖を覚えぬ、筒袖だったか、振袖だったか、ものに隠れたのであろう。
 真昼の緋桃《ひもも》も、その娘の姿に露の濡色を見せて、髪にも、髻《もとどり》にも影さす中に、その瓜実顔を少《すこし》く傾けて、陽炎を透かして、峰の松を仰いでいた。
 謹三は、ハッと後退《あとずさ》りに退《すさ》った。――杉垣の破目《われめ》へ引込むのに、かさかさと帯の鳴るのが浅間《あさま》しかったのである。
 気咎《きとが》めに、二日ばかり、手繰り寄せらるる思いをしながら、あえて行《ゆ》くのを憚《はばか》ったが――また不思議に北国《ほっこく》にも日和が続いた――三日めの同じ頃、魂がふッと墓を抜けて出ると、向うの桃に影もない。……
 勿体なくも、路々《みちみち》拝んだ仏神の御名《みな》を忘れようとした処へ――花の梢が、低く靉靆《たなび》く……藁屋はずれに黒髪が見え、すらりと肩が浮いて、俯向《うつむ》いて出たその娘が、桃に立ちざまに、目を涼しく、と小戻《こもどり》をしようとして、幹がくれに密《そ》と覗いて、此方《こなた》をば熟《じっ》と視《み》る時、俯目《ふしめ》になった。
 思わず、そのとき渠《かれ》は蹲《しゃが》んだ、そして煙草《たばこ》を喫《の》んだ形は、――ここに人待石の松蔭と同じである――
 が、姿も見ないで、横を向きながら、二服とは喫みも得ないで、慌《あわただ》しげにまた立つと、精々落着いて其方《そなた》に歩んだ。畠を、ややめぐり足に、近づいた時であった。
 娘が、柔順《すなお》に尋常に会釈して、
「誰方《どなた》?……」
 と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐《やまふところ》から、頭《つむり》へ浴びせて、大きな声で、
「何か、用か。」と喚《わめ》いた。
「失礼!」
 と言う、頸首《えりくび》を、空から天狗《てんぐ》に引掴《ひッつか》まるる心地がして、
「通道《とおりみち》ではなかったんですか、失礼しました、失礼でした。」
 ――それからは……寺までも行《ゆ》き得ない。

       五

 人は何とも言わば言え……
 で渠《かれ》に取っては、花のその一里《ひとさと》が、所謂《いわゆる》、雲井桜の仙境であった。たとえば大空なる紅《くれない》の霞に乗って、あまつさえその美しいぬし[#「ぬし」に傍点]を視《み》たのであるから。
 町を行《ゆ》くにも、気の怯《ひ》けるまで、郷里にうらぶれた渠が身に、――誰も知るまい、――ただ一人、秘密の境を探り得たのは、潜《ひそか》に大《おおい》なる誇りであった。
 が、ものの本の中《うち》に、同じような場面を読み、絵の面《おもて》に、そうした色彩に対しても、自《おのず》から面《おもて》の赤うなる年紀《とし》である。
 祖母《としより》の傍《そば》でも、小さな弟と一所でも、胸に思うのも憚《はばか》られる。……寝て一人の時さえ、夜着の袖を被《かぶ》らなければ、心に描くのが後暗《うしろめた》い。……
 ――それを、この機会に、並木の松蔭に取出でて、深秘なるあが仏を、人待石に、密《ひそか》に据えようとしたのである。
 成りたけ、人勢《ひとけ》に遠ざかって、茶店に離れたのに不思議はあるまい。
 その癖、傍《はた》で視《み》ると、渠が目に彩り、心に映した――あの※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけた娘の姿を、そのまま取出して、巨石《おおいし》の床に据えた処は、松並木へ店を開いて、藤娘の絵を売るか、普賢菩薩《ふげんぼさつ》の勧進をするような光景であった。
 渠は、空《くう》に恍惚《うっとり》と瞳を据えた。が、余りに憧《あこが》るる煩悩は、かえって行澄《おこないす》ましたもののごとく、容《かたち》も心も涼しそうで、紺絣《こんがすり》さえ松葉の散った墨染の法衣《ころも》に見える。
 時に、吸ったのが悪いように、煙を手で払って、叺《かます》の煙草入を懐中《ふところ》へ蔵《しま》う
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