の年の春の末であった。――
雀を見ても、燕《つばくろ》を見ても、手を束《つか》ねて、寺に籠《こも》ってはいられない。その日の糧《かて》の不安さに、はじめはただ町や辻をうろついて廻ったが、落穂のないのは知れているのに、跫音《あしおと》にも、けたたましく驚かさるるのは、草の鶉《うずら》よりもなお果敢《はか》ない。
詮方《せんかた》なさに信心をはじめた。世に人にたすけのない時、源氏も平家も、取縋《とりすが》るのは神仏《かみほとけ》である。
世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端《まちはずれ》から、山裾《やますそ》の浅い谿《たに》に、小流《こながれ》の畝々《うねうね》と、次第|高《だか》に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公《せいしょうこう》、弁財天、鬼子母神《きしぼじん》、七面大明神、妙見宮《みょうけんぐう》、寺々に祭った神仏を、日課のごとく巡礼した。
「……御飯が食べられますように、……」
父が存生《ぞんしょう》の頃は、毎年、正月の元日には雪の中を草鞋穿《わらじばき》でそこに詣《もう》ずるのに供をした。参詣《さんけい》が果てると雑
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