港に何某《なにがし》とて、器具商があって、それにも工賃の貸がある……懸《かけ》を乞いに出たのであった――
 若いものの癖として、出たとこ勝負の元気に任せて、影も見ないで、日盛《ひざかり》を、松並木の焦げるがごとき中途に来た。
 暑さに憩うだけだったら、清水にも瓜にも気兼《きがね》のある、茶店の近所でなくっても、求むれば、別なる松の下蔭もあったろう。
 渠《かれ》はひもじい腹も、甘くなるまで、胸に秘めた思《おもい》があった。
 判官の人待石。
 それは、その思を籠《こ》むる、宮殿の大なる玉の床と言っても可《よ》かろう。

       四

 金石街道の松並木、ちょうどこの人待石から、城下の空を振向くと、陽春三四月の頃は、天の一方をぽっと染めて、銀河《あまのがわ》の横たうごとき、一条《ひとすじ》の雲ならぬ紅《くれない》の霞が懸《かか》る。……
 遠山の桜に髣髴《ほうふつ》たる色であるから、花の盛《さかり》には相違ないが、野山にも、公園にも、数の植わった邸町《やしきまち》にも、土地一統が、桜の名所として知った場所に、その方角に当っては、一所《ひとところ》として空に映るまで花の多い処はない。
前へ 次へ
全29ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング