わざわざわと、落葉を鳴らして落来るばかりに引返して、
「退却……」
「え、安達《あだち》ヶ原ですか。」
と聞く方が慌てている。
「いいえ爺さんですがね、一人土間で草鞋《わらじ》を造っていましてね。何だ、誰じゃいッて喚《わめ》くんです。」
「いや、それは恐縮々々。」
「まことに済みません。発起人がこの様子で。」
「飛んでもない。こういう時は花道を歌で引込《ひっこ》むんです、柄にはありませんがね。何でしたっけ、……
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わが心なぐさめかねつ更科《さらしな》や
姨捨山に照る月をみて
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照る月をみて慰めかねつですもの、暗いから慰められて可《い》いわけです。いよいよ路が分らなければ、停車場《ステエション》で、次の汽車を待って、松本まで参りましょう。時間がありますからそこは気丈夫です。」
しかるところ、暗がりに目が馴《な》れたのか、空は星の上に星が重《かさな》って、底《そこひ》なく晴れている――どこの峰にも銀の覆輪《ふくりん》はかからぬが、自《おのず》から月の出の光が山の膚《はだ》を透《とお》すかして、巌《いわ》の欠《かけ》めも、路の石も、
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