肩を細く、さしうつむいた黒髪に包んで、顔も上げない。まことにしとやかな佳人であった。
 この片袖が、隣席にさし置かれた、他の大革鞄の口に挟まったのである。……失礼ながらその革鞄は、ここに藤助が饒舌《しゃべ》るのと、ほぼ大差のないものであった。
 が、持ぬしは、意気沈んで、髯《ひげ》、髪もぶしょうにのび、面《おもて》は憔悴《しょうすい》はしていたが、素純にして、しかも謹厳なる人物であった。
 汽車の進行中に、この出来事が発見された時、附添の騒ぎ方は……無理もないが、思わぬ麁※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]《そそう》であろう、失策した人物に対して、傍《はた》の見る目は寧《むし》ろ気の毒なほどであった。
 一も二もない、したたかに詫びて、その革鞄の口を開くので、事は決着するに相違あるまい。
 我も人も、しかあるべく信じた。
 しかるにもかかわらず、その人物は、人々が騒いで掛けた革鞄の手の中から、すかりと握拳《にぎりこぶし》の手を抜くと斉《ひと》しく、列車の内へすっくと立って、日に焼けた面《つら》は瓦《かわら》の黄昏《たそが》るるごとく色を変えながら、決然たる態度で、同室の御婦人、紳
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