も赫《かッ》と――この火鉢と湯沸が、前に言った正札つきなる真新しいのである。酒も銚子《ちょうし》だけを借りて、持参の一升|壜《びん》の燗《かん》をするのに、女房は気障《きざ》だという顔もせず、お客|冥利《みょうり》に、義理にうどんを誂《あつら》えれば、乱れてもすなおに銀杏返《いちょうがえし》の鬢《びん》を振って、
「およしなさいまし、むだな事でございます。おしたじが悪くって、めしあがられやしませんから。……何ぞお香《こう》のものを差上げましょう。」
その心意気。
「難有《ありがた》い。」
と熱燗《あつかん》三杯、手酌でたてつけた顔を撫でて、
「おかみさん。」
杯をずいとさして、
「一つ申上げましょう、お知己《ちかづき》に……」
「私は一向に不調法ものでございまして。」
「まあ一盞《ひとつ》。」
「もう、全く。」
「でも、一盞《ひとつ》ぐらい、お酌をしましょう。」
と小村さんが銚子を持ったのに、左右に手を振って、辷《すべ》るように、しかも軋《きし》んで遁《に》げ下りる。
「何だい。」
「毒だとでも思いましたかね。してみると、お互の人相が思われます。おかみさん一人きりなんでしょうか
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