宵の明星が晃然《きらり》と蒼《あお》い。
「あの山裾《やますそ》が、左の方へ入江のように拡がって、ほんのり奥に灯《あかり》が見えるでございましょう。善光寺平《ぜんこうじだいら》でございましてね。灯のありますのは、善光寺の町なんでございますよ。」
「何里あります。」
「八里ございます。」
「ははあ。」
「真下の谷底に、ちらちらと灯《ひ》が見えましょう、あそこが、八幡《やはた》の町でございましてね、お月見の方は、あそこから、皆さんが支度をなすって、私どもの裏の山へお上りになりますんでございますがね。鏡台山と、ちょうどさし向いになっております――おお、冷えますこと、……唯今《ただいま》お火鉢を。」
「小村さん、寸法は分りました、どうなすったんです、景色も見ないで。」
 と座に戻ると、小村さんは真顔で膝《ひざ》に手を置いて、
「いえ、その縁側に三人揃って立ったんでは、桟敷《さじき》が落ちそうで危険《けんのん》ですから。」
「まったく、これで猿楽があると、……天狗が揺り倒しそうな処です。可恐《おそろ》しいね。」
 と二人は顔を見合せた。
 が、註文通り、火鉢に湯沸《ゆわかし》が天上して来た、火
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