ございますよ、お頭を。」
「何《なあ》に。」
吻《ほっ》としながら、小村さんは気競《きお》ったように、
「踏着けられた狗から見りゃ、頭を打《ぶ》つけるなんぞ何でもない。」
日頃、沈着な、謹み深いのがこれだから、余程|周章《あわ》てたに違いない。
きゃんきゃんきゃん、クイッ、キュウ、きゃんきゃんきゃん、と断々《きれぎれ》に、声が細って泣止《なきや》まない。
「身に沁《し》みますね、何ですか、狐が鳴いてるように聞えます。」
木地の古びたのが黒檀《こくたん》に見える、卓子台《ちゃぶだい》にさしむかって、小村さんは襟を合せた。
件《くだん》の油煙で真黒《まっくろ》で、ぽっと灯の赤いランプの下に畏《かしこま》って、動くたびに、ぶるぶると畳の震う処は天変に対し、謹んで、日蝕を拝むがごとく、少なからず肝を冷しながら、
「旅はこれだから可《い》いんです。何も話の種です。……話の種と言えばね、小村さん。」
と、探らないと顔が分らぬ。
「はあ。」
「何ですか、この辺には、あわれな、寂しい、物語がありそうな処ですね。あの、月宵鄙物語《つきのよいひなものがたり》というのがあります、御存じでしょうけ
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