で開けるわけには参りませんの。)
 ぶるぶるぶる……私《わっし》あ、頭と嘴《くちばし》を一所に振った。旦那の前《めえ》だが、……指を曲げて、口を押えて、瞼《まぶた》へ指の環を当がって、もう一度頭を掉《ふ》った。それ、鍵の手は、内証で遣《や》っても、たちまちお目玉。……不可《いけね》えてんだ、お前さん。
(御法度《ごはっと》だ。)
 と重く持たせて、
(ではござれども、姉さんの事だ、遣らかしやしょう、大達引《おおたてひき》。奥様のお記念《かたみ》だか、何だか知らねえ。成程こいつあ、そのな、へッへッ、誰方《どなた》かに向っての姉さんの心意気では……お邪魔になるでございましょうよ。奥歯にものが挟まったって譬《たとえ》はこれだ。すっぱり、打開《ぶちま》けてお出しなせえまし。)
(いえ、あの、開けて出すよりか、私が中へ入りたい。)
 と仇気《あどけ》なく莞爾《にっこり》すら、チェーしたもんだ。
(御串戯《ごじょうだん》で、中へ入ると、恐怖《おっかね》え、その亡くなった奥さんの骨《こつ》があるんじゃありませんかい。)
(もう、私は、あの、奥さまの、その骨《ほね》になりたいの。)
 ああ、その骨になりたいか、いや、その骨でこっちは海月《くらげ》だ、ぐにゃりとなった。
(御勝手だ。)
(あれ、そのかわりに奥さまが、活きた私におなんなさる、容色《きりょう》は、たとえこんなでも。)
(御勝手だ。いや、御法度だね。)
(そんな事を言わないで、後生ですから、鋳掛屋さん。)
(開けますよ。だがね……)
 と、一つ勿体《もったい》で、
(こいつあ口伝《くでん》だ、見ちゃ不可《いけね》え、目を瞑《つぶ》っていておくんなさい。)
(はい。)
(もっと。)
(はい。)
(不可《いけね》え不可え、薄目を開けてら。)
(まあ、では後を向きますわ。)
(引《ひき》しまって、ふっくりと柔《やわら》かで、ああ、堪《たま》らねえ腰附だ。)
(可厭《いや》……知りませんよ。)
 と向直ると、串戯《じょうだん》の中にしんみりと、
(あれ、ちょっと待って下さいまし。いま目をふさいで考えますと、お許《ゆるし》がないのに錠前を開けるのは、どうも心が済みません。神様、仏様に、誓文《せいもん》して、悪い心でなくっても、よくない事だと存じます。)
 私《わっし》も真面目《まじめ》にうなずきました。
(でも、合鍵は拵えて下さいまし、大事にそれを持っていて、……出来るだけ我慢はしますけれども、どうしても開けたくってならなくなりました時に、生命《いのち》にかえても、開けて見とうございますから。)――
 晩の泊《とまり》はどこだって聞きますから、向うの峰の日脚を仰向《あおむ》いて、下の温泉だと云いますとね、双葉屋の女中だと、ここで姉さんが名を言って、お世話しましょうと、きつい発奮《はずみ》さ。
 御旅館などは勿体ねえ、こちとら式がと木賃がると、今頃はからあきで、人気《ひとけ》がなくって寂しいくらい。でも、お一方――一昨日《おととい》から、上州高崎の方だそうだけれど、東京にも少《すくな》かろう、品のいい美しい、お嬢さんだか、夫人《おくさま》だか、少《わか》い方がお一方……」
「お一方?」
 と、うっかり訊《き》いて私は膝を堅うした。――小村さんも同じ思いは疑いない。――あの時、その窈窕たる御寮が、汽車を棄てたのは、かしこで、その高崎であった。
「さようで。――お一方|御逗留《ごとうりゅう》、おさみしそうなその方にも、いまの立山が聞かせたいと、何となくそのお一方が、もっての外気になるようで、妙に眉のあたりを暗くしましたっけ、熟《じっ》と日のかげる山を視《なが》めたが、
(ああ。鋳掛屋さん。)
 と慌《あわただ》しい。……皆まで聞かずと飲込んだ、旦那様帰り引[#「引」は小文字]と……ここらは鵜《う》だてね、天幕《テント》の逢目《あいめ》をひょこりと出た。もとの山端《やまっぱな》へ引退《ひきさが》り、さらば一服|仕《つかまつ》ろう……つぎ置の茶の中には、松の落葉と朱葉《もみじ》が一枚。……」

(ああ、腹が減った……)
 と色気のない声を出して、どかりと椅子に掛けたのは、焦茶色の洋服で、身の緊《しま》った、骨格のいい、中古《ちゅうぶる》の軍人といった技師の先生だ。――言うまでもなく、立野竜三郎は渠《かれ》である――
(減った、減った、無茶に減った。)
 と、いきなり卓子《テエブル》の上の風呂敷包みを解くと、中が古風にも竹の子弁当。……御存じはございますまい、三組《みつぐみ》の食籠《わりご》で、畳むと入子《いれこ》に重《かさな》るやつでね。案ずるまでもありませんや、お道姉さんが心入れのお手料理か何かを、旅館から運ぶんだね。
(うまい、ああ旨《うま》い、この竹輪は骨がなくて難有《ありがた》い。)
 余り旨そ
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