うなので、こっちは里心が着きました。建場《たてば》々々で飲酒《や》りますから、滅多に持出した事のない仕込の片餉《かたげ》、油揚《あぶらげ》の煮染《にしめ》に沢庵というのを、もくもくと頬張りはじめた。
 お道さんが手拭を畳んでちょっと帯に挟んだ、茶汲女《ちゃくみおんな》という姿で、湯呑を片手に、半身で立って私《わっし》の方を視《み》ましたがね。

(旦那様《だんなさん》……あの、鋳掛屋さんが、お弁当を使いますので、お茶を御馳走《ごちそう》いたしました。……お盆がなくて手で失礼でございます。)
 と湯気の上る処を、卓子の上へ置くんでございますがね、加賀の赤絵の金々たるものなれども、ねえ、湯呑は嬉しい心意気だ。
(何、鋳掛屋。)
 と、何だか、気を打ったように言って、先生、扁平《ひらた》い肩で捻《ね》じて、私《わっし》の方を覗《のぞ》きましたが、
(やあ、御馳走はありますか。)
 とかすれ笑いをしなさるんだ。
(へッ、へッ。)と、先はお役人様でがさ、お世辞|笑《わらい》をしたばかりで、こちらも肩で捻向く面《つら》だ、道陸神《どうろくじん》の首を着換《つけか》えたという形だてね。
(旨い。)
 姉さんが嬉しそうな顔をしながら、
(あの、電信の故障は、直りましてございますか。)
(うむ、取払ったよ。)
 と頬張った含声《ふくみごえ》で、
(思ったより余程さきだった。)
 ははあ、電線に故障があって、障《さわ》るものの見当が着いた処から、先生、山めぐりで見廻ったんだ。道理こそ、いまし方天幕へ戻って来た時に、段々塗の旗竿《はたざお》を、北極探検の浦島といった形で持っていて、かたりと立掛けて入《へえ》んなすった。
(どうかなっていましたの。)
(変なもの……何、くだらないものが、線の途中に引搦《ひっからま》って……)
 カラリと箸《はし》を投げる音が響いた。
(うむ、来た。……トーン、トーン……可《よ》し。)
 お道さんの声で、
(旦那様、何ぞ御心配な事ではございませんか。)
 一口がぶりと茶を飲んで、
(詰《つま》らぬ事を……他所《よそ》へ来た電報に、一々気を揉《も》んでいて堪《たま》るもんですか。)
(でも、先刻《さっき》、この電信が参りました時、何ですか、お顔の色が……)
(……故障のためですよ、青天井の煤払《すすはき》は下さりませんからな、は、は。)
 と笑った。
 坂をするすると這上《はいあが》る、蝙蝠《こうもり》か、穴熊のようなのが、衝《つッ》と近く来ると、海軍帽を被《かぶ》ったが、形《なり》は郵便の配達夫――高等二年ぐらいな可愛い顔の少年が、ちゃんと恭《うやうや》しく礼をした。
(ああ、ちょうどいま繋《つなが》った。)
(どうした故障でございますか。)
 と切口上で、さも心配をしたらしい。たのもしいじゃあございませんか。
(網掛場《あみかけば》の先の処だ、烏を蛇が捲《ま》いたなりで、電線に引搦《ひっからま》って死んでいたんだよ。烏が引啣《ひきくわ》えて飛ぼうとしたんだろう……可なり大《おおき》な重い蛇だから、飛切れないで鋼線《はりがね》に留った処を、電流で殺されたんだ。ぶら下った奴は、下から波を打って鎌首をもたげたなりに、黒焦《くろこげ》になっていた――君、急いでくれ給え、約四時間延着だ。)
(はっ。)
 と云って行《ゆ》くのを、
(ああ、時さん。)
 とお道さんは沈んで呼んだ。が、寂しい笑顔を向け直して、
(配達さん――どこへ……)と訊《き》いた。
 少年が正しく立停《たちとど》まって、畳んだ用紙を真《まっ》すぐに視《み》て、
(狼温泉――双葉館方……村上縫子……)
(そしてどちらから。)
(ヤホ次郎――行って来ます。)
(そんな事を聞くもんじゃあない。)
(ああ、済みませんでした。)
(何、構わないようなもんじゃあるがね――どっこいしょ。)
 がた、がたんと音がする。先生、もう一つの卓子《テエブル》を引立って、猪と取組《とっく》むように勢《いきおい》よく持って出ると、お道さんはわけも知らないなりに、椅子を取って手伝いながら、
(どう遊ばすの。)
 と云ううちに、一段下りた草原《くさっぱら》へ据えたんでございますがね、――わけも知らずに手伝った、お道さんの心持を、あとで思うと涙が出ます。」
 と肩もげっそりと、藤助は沈んで言った。……
「で、何でございますよ――どう遊ばすのかと、お道さんが言うと、心待、この日暮にはここに客があるかも知れんと、先生が言いますわ。あれ、それじゃこんな野天でなく、と、言おうじゃあございませんか。
(いや、中で間違《まちがい》があるとならんので。)
(え、間違とおっしゃって。)
 とお道さんが、ひったり寄った。
(私は、)
 と先生は、肘《ひじ》で口の端《はた》を横撫《よこなで》して、
(髯《ひげ》も
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