って、それをその少《わか》い貴婦人てった高島田のが、片手に控えて縋《すが》っています……もう笠は外して脊へ掛けて……絞《しぼり》の紅《あか》いのがね、松明《たいまつ》が揺れる度に、雪に薄紫に颯《さっ》と冴《さ》えながら、螺旋《らせん》の道条《みちすじ》にこう畝《うね》ると、そのたびに、崖の緋葉《もみじ》がちらちらと映りました、夢のようだ。
 視《み》る奴《やつ》の方が夢のようだから、御当人たちは現《うつつ》かも知れねえ。
 でその二人は、そうやって、雪の夜道を山坂かけて、どこへ行くんだと思召《おぼしめ》す。
 ここだて――旦那。」
 藤助は息継《いきつぎ》に呷《ぐい》と煽《あお》って、
「この二階から、鏡台山を――(少し薄明りが映《さ》しますぜ、月が出ましょう。まあ、御緩《ごゆる》りなさいまし、)――それ、こうやって視《み》るように、狼温泉の宿はずれの坂から横正面といった、肩でこう捻向《ねじむ》いて高く上を視る処に、耳はねえが、あのトランプのハアト形に頭《かしら》を押立《おった》った梟《ふくろ》ヶ|嶽《たけ》、梟、梟と一口に称《とな》えて、何嶽と言うほどじゃねえ、丘が一座《ひとくら》、その頂辺《てっぺん》に、天狗の撞木杖《しゅもくづえ》といった形に見える、柱が一本。……風の吹まわしで、松明の尖《さき》がぼっと伸びると、白くなって顕《あらわ》れる時は、耶蘇《ヤソ》の看板の十字架てったやつにも似ている……こりゃ、もし、電信柱で。
 蔭に隠れて見えねえけれど、そこに一張《ひとはり》天幕《テント》があります。何だと言うと、火事で焼けたがために、仮ごしらえの電信局で、温泉場から、そこへ出張《でば》っているのでございます。
 そこへ行くんだね、婦《おんな》二人は。
 で、その郵便局の天幕の裡《うち》に、この湯女《ゆな》の別嬪《べっぴん》が、生命《いのち》がけ二年|越《ごし》に思い詰めている技手の先生……ともう一人は、上州高崎の大資産家《おおかねもち》の若旦那で、この高島田のお嬢さんの婿さんと、その二人が、いわれあって、二人を待って、対の手戟《てぼこ》の石突《いしづき》をつかないばかり、洋服を着た、毘沙門天《びしゃもんてん》、増長天《ぞうちょうてん》という形で、五体を緊《し》めて、殺気を含んで、呼吸《いき》を詰めて、待構えているんでがしてな。
 お嬢さんの方は、名を縫子さんと言うんで、申さずとも娘ッ子じゃありません、こりゃ御新姐《ごしんぞ》……じゃあねえね――若奥様。」

       五

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峰の白雪、麓《ふもと》の氷、
今は互に隔てていれど、
やがて嬉しく、溶けて流れて、
合うのじゃわいな。……
[#ここで字下げ終わり]
「私《わっし》は日暮前に、その天幕張《テントばり》の郵便局の前を通って来たんでございますよ。……ちょうど狼の温泉へ入込《いりこ》みます途中でな。……晩に雪が来ようなどとは思いも着かねえ、小春日和《こはるびより》といった、ぽかぽかした好《い》い天気。……
 もっとも、甲州から木曾街道、信州路を掛けちゃあ、麓《ふもと》の岐路《えだみち》を、天秤《てんびん》で、てくてくで、路傍《みちばた》の木の葉がね、あれ性《しょう》の、いい女の、ぽうとなって少し唇の乾いたという容子《ようす》で、へりを白くして、日向《ひなた》にほかほかしていて、草も乾燥《はしゃ》いで、足のうらが擽《くすぐ》ってえ、といった陽気でいながら、槍《やり》、穂高、大天井、やけに焼《やけ》ヶ嶽などという、大薩摩《おおざつま》でもの凄《すご》いのが、雲の上に重《かさな》って、天に、大波を立てている、……裏の峰が、たちまち颯《さっ》と暗くなって、雲が被《かぶ》ったと思うと、箕《み》で煽《あお》るように前の峰へ畝《うね》りを立ててあびせ掛けると、浴びせておいて晴れると思えば、その裏の峰がもう晴れた処から、ひだを取って白くなります。見る見るうちに雪が掛《かか》るんでございましてね。左右の山は、紅くなったり、黄色かったり、酔ったり、醒《さ》めたりして、移って来るそのむら雲を待っている。
 といった次第《わけ》で、雪の神様が、黒雲の中を、大《おおき》な袖を開いて、虚空を飛行《ひぎょう》なさる姿が、遠くのその日向の路に、螽斯《ばった》ほどの小さな旅のものに、ありありと拝まれます。
 だから、日向で汗ばむくらいだと言った処で、雑樹一株隔てた中には、草の枯れたのに、日が映《さ》すかと見れば、何、瑠璃色《るりいろ》に小さく凝《こ》った竜胆《りんどう》が、日中《ひなか》も冷い白い霜を噛《か》んでいます。
 が、陽の赤い、その時梟ヶ嶽は、猫が日向ぼっこをしたような形で、例の、草鞋《わらじ》も脚絆《きゃはん》も擽《くすぐ》ってえ。……満山のもみじの中《うち》に、もくりと
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