ころ》が然《そ》うでない。
「とう、とう、とう/\。」
 呼声《よびごえ》から、風体《なり》、恰好《かっこう》、紛れもない油屋《あぶらや》で、あの揚《あげ》ものの油を売るのださうである。
「とう、とう、とう/\。」
 穴から泡《あわ》を吹くやうな声が、却《かえ》つて、裏田圃《うらたんぼ》へ抜けて変に響いた。
「こら/\、片寄《かたよ》れ。えゝ、退《ど》け/\。」
 威張《いば》る事にかけては、これが本場の支那《しな》の官人である。従者が式《かた》の如く叱《しか》り退《の》けた。
「とう、とう、とう/\。」
「やい、これ。――殿様のお通りだぞ。……」
 笠《かさ》さへ振向《ふりむ》けもしなければ、青牛《せいぎゅう》がまたうら枯草《がれくさ》を踏む音も立てないで、のそりと歩む。
「とう、とう、とう/\。」
 こんな事は前例が嘗《かつ》てない。勃然《ぼつぜん》としていきり立つた従者が、づか/\石垣を横に擦《す》つて、脇鞍《わきぐら》に踏張《ふんば》つて、
「不埒《ふらち》ものめ。下郎《げろう》。」
 と怒鳴《どな》つて、仰《あお》ぎづきに張肱《はりひじ》でドンと突いた。突いたが、鞍の上を及腰《およびごし》だから、力が足りない。荒く触つたと言ふばかりで、その身体《からだ》が揺れたとも見えないのに、ぽんと、笠《かさ》ぐるみ油売《あぶらうり》の首が落ちて、落葉《おちば》の上へ、ばさりと仰向《あおむ》けに転げたのである。
「やあ、」とは言つたが、無礼討御免《ぶれいうちごめん》のお国柄《くにがら》、それに何、たかが油売の首なんぞ、ものの数ともしないのであつた。が、主従《しゅうじゅう》ともに一驚《いっきょう》を吃《きっ》したのは、其の首のない胴躯《どうむくろ》が、一煽《ひとあお》り鞍に煽《あお》ると斉《ひと》しく、青牛《せいぎゅう》の脚《あし》が疾《はや》く成つて颯《さっ》と駈出《かけだ》した事である。
 ころげた首の、笠と一所《いっしょ》に、ぱた/\と開《あ》く口より、眼球《めだま》をくる/\と廻して見据《みす》ゑて居た官人が、此の状《さま》を睨《にら》み据《す》ゑて、
「奇怪ぢや、くせもの、それ、見届けろ。」
 と前に立つて追掛《おいか》けると、ものの一|町《ちょう》とは隔《へだ》たらない、石垣も土塀《どべい》も、葎《むぐら》に路《みち》の曲角《まがりかど》。突当《つきあた》りに
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