いづれも聲《こゑ》を飮《の》んで脈《みやく》を數《かぞ》へて居《ゐ》たらしい。
 窓《まど》と筋斜《すぢかひ》に上下《うへした》差向《さしむか》つて居《ゐ》る二階《にかい》から、一度《いちど》東京《とうきやう》に來《き》て博文館《はくぶんくわん》の店《みせ》で働《はたら》いて居《ゐ》たことのある、山田《やまだ》なにがしといふ名代《なだい》の臆病《おくびやう》ものが、あてもなく、おい/\と沈《しづ》んだ聲《こゑ》でいつた。
 同時《どうじ》に一室《ひとま》措《お》いた奧《おく》の居室《へや》から震《ふる》へ聲《ごゑ》で、何《なん》でせうね。更《さら》に、一寸《ちよつと》何《なん》でせうね。止《や》むことを得《え》ず、えゝ、何《なん》ですか、音《おと》がしますが、と、之《これ》をキツカケに思《おも》ひ切《き》つて障子《しやうじ》を開《あ》けた。池《いけ》はひつくりかへつても居《を》らず、羽目板《はめいた》も落《お》ちず、壁《かべ》の破《やぶれ》も平時《いつも》のまゝで、月《つき》は形《かたち》は見《み》えないが光《ひかり》は眞白《まつしろ》にさして居《ゐ》る。とばかりで、何事《なにごと》も無《な》く、手早《てばや》く又《また》障子《しやうじ》を閉《し》めた。音《おと》はかはらず聞《きこ》えて留《や》まぬ。
 處《ところ》へ、細君《さいくん》はしどけない寢衣《ねまき》のまゝ、寢《ね》かしつけて居《ゐ》たらしい、乳呑兒《ちのみご》を眞白《まつしろ》な乳《ちゝ》のあたりへしつかりと抱《だ》いて色《いろ》を蒼《あを》うして出《で》て見《み》えたが、ぴつたり私《わたし》の椅子《いす》の下《もと》に坐《すわ》つて、石《いし》のやうに堅《かた》くなつて目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて居《ゐ》る。
 おい山田《やまだ》下《お》りて來《こ》い、と二階《にかい》を大聲《おほごゑ》で呼《よ》ぶと、ワツといひさま、けたゝましく、石垣《いしがき》が崩《くづ》れるやうにがたびしと駈《か》け下《お》りて、私《わたし》の部屋《へや》へ一所《いつしよ》になつた。いづれも一言《ひとこと》もなし。
 此上《このうへ》何事《なにごと》か起《おこ》つたら、三人《さんにん》とも團子《だんご》に化《な》つてしまつたらう。
 何《なん》だか此池《このいけ》を仕切《しき》つた屋根《やね》
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング