るようである。
 爺様の乗った前の車が、はたと留《とま》った。
 あれ聞け……寂寞《ひっそり》とした一条廓《ひとすじくるわ》の、棟瓦《むねがわら》にも響き転げる、轍《わだち》の音も留まるばかり、灘《なだ》の浪を川に寄せて、千里の果《はて》も同じ水に、筑前の沖の月影を、白銀《しろがね》の糸で手繰ったように、星に晃《きら》めく唄の声。
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博多帯《はかたおび》しめ、筑前絞《ちくぜんしぼり》、
 田舎の人とは思われぬ、
歩行《ある》く姿が、柳町、
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 と博多節を流している。……つい目の前《さき》の軒陰に。……白地の手拭《てぬぐい》、頬被《ほおかむり》、すらりと痩《やせ》ぎすな男の姿の、軒のその、うどんと紅《べに》で書いた看板の前に、横顔ながら俯向《うつむ》いて、ただ影法師のように彳《たたず》むのがあった。
 捻平はフト車の上から、頸《うなじ》の風呂敷包のまま振向いて、何か背後《うしろ》へ声を掛けた。……と同時に弥次郎兵衛の車も、ちょうどその唄う声を、町の中で引挟《ひっぱさ》んで、がっきと留まった。が、話の意味は通ぜずに、そのまま捻平のがまた曳出《ひ
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