思う時、釣瓶《つるべ》のようにきりきりと、身体《からだ》を車に引上げて、髪の雫《しずく》も切らせずに、また海へ突込《つッこ》みました。
この時な、その繋《かか》り船に、長崎辺の伯父が一人乗込んでいると云うて、お小遣《こづかい》の無心に来て、泊込んでおりました、二見から鳥羽がよいの馬車に、馭者《ぎょしゃ》をします、寒中、襯衣《しゃつ》一枚に袴服《ずぼん》を穿《は》いた若い人が、私のそんなにされるのが、あんまり可哀相な、とそう云うて、伊勢へ帰って、その話をしましたので、今、あの申しました。……
この間までおりました、古市の新地《しんまち》の姉さんが、随分なお金子《かね》を出して、私を連れ出してくれましたの。
それでな、鳥羽の鬼へも面当《つらあて》に、芸をよく覚えて、立派な芸子になれやッて、姉さんが、そうやって、目に涙を一杯ためて、ぴしぴし撥《ばち》で打《ぶ》ちながら、三味線を教えてくれるんですが、どうした因果か、ちっとも覚えられません。
人さしと、中指と、ちょっとの間を、一日に三度ずつ、一週間も鳴らしますから、近所隣も迷惑して、御飯もまずいと言うのですえ。
また月の良い晩でした。ああ、今の御主人が、親切なだけなお辛い。……何の、身体《からだ》の切ない、苦しいだけは、生命《いのち》が絶えればそれで済む。いっそまた鳥羽へ行って、あの巌《いわ》に掴《つか》まって、(こいし、こいし、)と泣こうか知らぬ、膚の紐になわつけて、海へ入れられるが気安いような、と島も海も目に見えて、ふらふらと月の中を、千鳥が、冥土《めいど》の使いに来て、連れて行かれそうに思いました。……格子|前《さき》へ流しが来ました。
新町の月影に、露の垂りそうな、あの、ちらちら光る撥音《ばちおと》で、
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……博多帯しめ、筑前絞り――
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と、何とも言えぬ好《い》い声で。
(へい、不調法、お喧《やかま》しゅう、)って、そのまま行《ゆ》きそうにしたのです。
(ああ、身震《みぶるい》がするほど上手《うま》い、あやかるように拝んで来な、それ、お賽銭《さいせん》をあげる気で。)
と滝縞《たきじま》お召《めし》の半纏《はんてん》着て、灰に袖のつくほどに、しんみり聞いてやった姉さんが、長火鉢の抽斗《ひきだし》からお宝を出して、キイと、あの繻子《しゅす》が鳴る、帯へ挿《はさ》んだ懐紙に捻《ひね》って、私に持たせなすったのを、盆に乗せて、戸を開けると、もう一二|間《けん》行きなさいます。二人の間にある月をな、影で繋《つな》いで、ちゃっと行って、
(是喃《こいし》。)と呼んで、出した盆を、振向いてお取りでした。私や、思わずその手に縋《すが》って、涙がひとりでに出ましたえ。男で居ながら、こんなにも上手な方があるものを、切《せ》めてその指一本でも、私の身体《からだ》についたらばと、つい、おろおろと泣いたのです。
頬被《ほおかむり》をしていなすった。あのその、私の手を取ったまま――黙って、少し脇の方へ退《の》いた処で、(何を泣く、)って優しい声で、その門附が聞いてくれます。もう恥も何も忘れてな、その、あの、どうしても三味線の覚えられぬ事を話しました。」
二十
「よく聞いて、しばらく熟《じっ》と顔を見ていなさいました。
(芸事の出来るように、神へ願懸《がんがけ》をすると云って、夜の明けぬ内、外へ出ろ。鼓ヶ嶽の裾にある、雑樹林の中へ来い。三日とも思うけれど、主人には、七日と頼んで。すぐ、今夜の明方から。……分ったか。若い女の途中が危《あぶな》い、この入口まで来て待ってやる、化《ばか》されると思うな、夢ではない。……)
とお言いのなり、三味線を胸に附着《くッつ》けて、フイと暗がりへ附着いて、黒塀を去《い》きなさいます。……
その事は言わぬけれど、明方の三時から、夜の白むまで垢離《こり》取って、願懸けすると頼んだら、姉さんは、喜んで、承知してくれました。
殺されたら死ぬ気でな、――大恩のある御主人の、この格子戸も見納めか、と思うようで、軒下へ出て振返って、門《かど》を視《なが》めて、立っているとな。
(おいで、)
と云って、突然《いきなり》、背後《うしろ》から手を取りなすった、門附のそのお方。
私はな、よう覚悟はしていたが、天狗様に攫《さら》われるかと思いましたえ。
あとは夢やら現《うつつ》やら。明方内へ帰ってからも、その後《あと》は二日も三日もただ茫《ぼう》としておりましたの。……鼓ヶ嶽の松風と、五十鈴川の流《ながれ》の音と聞えます、雑木の森の暗い中で、その方に教わりました。……舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ背後《うしろ》から背中を抱いて下さいますと、私の身体《からだ》が、舞いました。それだけより存じません。
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