あぐ》んで、もう落胆《がっかり》しやした、と云ってな、どっかり知らぬ家《うち》の店頭《みせさき》へ腰を落込《おとしこ》んで、一服無心をした処……あすこを読むと串戯《じょうだん》ではない。……捻平さん、真からもって涙が出ます。」
と言う、瞼《まぶた》に映って、蝋燭の火がちらちらとする。
「姉や、心《しん》を切ったり。」
「はい。」
と女中が向うを向く時、捻平も目をしばたたいたが、
「ヤ、あの騒ぎわい。」
と鼻の下を長くして、土間|越《ごし》の隣室《となり》へ傾き、
「豪《えら》いぞ、金盥《かなだらい》まで持ち出いたわ、人間は皆裾が天井へ宙乗りして、畳を皿小鉢が躍るそうな。おおおお、三味線太鼓が鎬《しのぎ》を削って打合う様子じゃ。」
「もし、お騒がしゅうござりましょう、お気の毒でござります。ちょうど霜月でな、今年度の新兵さんが入営なさりますで、その送別会じゃ言うて、あっちこっち、皆、この景気でござります。でもな、お寝《よ》ります時分には時間になるで静まりましょう。どうぞ御辛抱なさいまして。」
「いやいや、それには及ばぬ、それには及ばぬ。」
と小父者、二人の女中の顔へ、等分に手を掉《ふ》って、
「かえって賑かで大きに可い。悪く寂寞《ひっそり》して、また唐突《だしぬけ》に按摩に出られては弱るからな。」
「へい、按摩がな。」と何か知らず、女中も読めぬ顔して聞返す。
捻平この話を、打消すように咳《しわぶき》して、
「さ、一献《いっこん》参ろう。どうじゃ、こちらへも酌人をちと頼んで、……ええ、それ何んとか言うの。……桑名の殿様|時雨《しぐれ》でお茶漬……とか言う、土地の唄でも聞こうではないかの。陽気にな、かっと一つ。旅の恥は掻棄《かきす》てじゃ。主《ぬし》はソレ叱言《こごと》のような勧進帳でも遣らっしゃい。
染めようにも髯《ひげ》は無いで、私《わし》はこれ、手拭でも畳んで法然天窓《ほうねんあたま》へ載《の》せようでの。」と捻平が坐りながら腰を伸《の》して高く居直る。と弥次郎|眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、
「や、平家以来の謀叛《むほん》、其許《そこ》の発議は珍らしい、二方荒神鞍《にほうこうじんくら》なしで、真中《まんなか》へ乗りやしょう。」
と夥《おびただ》しく景気を直して、
「姉《あんね》え、何んでも構わん、四五人|木遣《きやり》で曳《ひ》いて来い。」
と肩を張って大きに力む。
女中酌の手を差控えて、銚子を、膝に、と真直《まっすぐ》に立てながら、
「さあ、今あっちの座敷で、もう一人二人言うて、お掛けやしたが、喜野、芸妓《げいこ》さんはあったかな。」
小女が猪首《いくび》で頷《うなず》き、
「誰も居やはらぬ言うてでやんした。」
「かいな、旦那さん、お気の毒さまでござります。狭い土地に、数のない芸妓やによって、こうして会なんぞ立込《たてこ》みますと、目星《めぼし》い妓《こ》たちは、ちゃっとの間に皆《みんな》出払います。そうか言うて、東京のお客様に、あんまりな人も見せられはしませずな、容色《きりょう》が好《い》いとか、芸がたぎったとかいうのでござりませぬとなあ……」
「いや、こうなっては、宿賃を払わずに、こちとら夜遁《よにげ》をするまでも、三味線を聞かなきゃ納まらない。眇《めっかち》、いぐちでない以上は、古道具屋からでも呼んでくれ。」
「待ちなさりまし。おお、あの島屋の新妓《しんこ》さんならきっと居るやろ。聞いて見や。喜野、ソレお急ぎじゃ、廊下走って、電話へ掛《かか》れや。」
九
「持って来い、さあ、何んだ風車《かざぐるま》。」
急に勢《いきおい》の可《い》い声を出した、饂飩屋に飲む博多節の兄哥《あにい》は、霜の上の燗酒《かんざけ》で、月あかりに直ぐ醒《さ》める、色の白いのもそのままであったが、二三杯、呷切《あおっきり》の茶碗酒で、目の縁《ふち》へ、颯《さっ》と酔《よい》が出た。
「勝手にピイピイ吹いておれ、でんでん太鼓に笙《しょう》の笛、こっちあ小児《こども》だ、なあ、阿媽《おっか》。……いや、女房《おかみ》さん、それにしても何かね、御当処は、この桑名と云う所は、按摩の多い所かね。」と笛の音に瞳がちらつく。
「あんたもな、按摩の目は蠣《かき》や云います。名物は蛤《はまぐり》じゃもの、別に何も、多い訳はないけれど、ここは新地《しんち》なり、旅籠屋のある町やに因って、つい、あの衆《しゅ》が、あちこちから稼ぎに来るわな。」
「そうだ、成程|新地《くるわ》だった。」となぜか一人で納得して、気の抜けたような片手を支《つ》く。
「お師匠さん、あんた、これからその音声《のど》を芸妓屋《げいこや》の門《かど》で聞かしてお見やす。ほんに、人死《ひとじに》が出来ようも知れぬぜな。」と
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