》さ。まだ一度《ひとたび》も声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)
と私の名をちゃんと言う。
ああ、酔った、」
と杯をばたりと落した。
「饒舌《しゃべ》って悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」
と鷹揚《おうよう》で、按摩と女房に目をあしらい。
「私は羽織の裾を払って、
(違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。若布《わかめ》の附焼でも土産に持って、東海道を這《は》い上れ。恩地の台所から音信《おとず》れたら、叔父には内証で、居候の腕白が、独楽《こま》を廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)
とずっと立つ。
二十二
「痘瘡《あばた》の中に白眼《しろまなこ》を剥《む》いて、よたよたと立上って、憤《いきどお》った声ながら、
(可懐《なつかし》いわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫《ひとな》で、撫でさせて下され。)
と言う。
いや、撫られて堪《たま》りますか。
摺抜《すりぬ》けようとするんだがね、六畳の狭い座敷、盲目《めくら》でも自分の家《うち》だ。
素早く、階子段《はしごだん》の降口を塞《ふさ》いで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へ懸《かか》って、充満《いっぱい》の黒坊主が、汗膏《あせあぶら》を流して撫じょうとする。
いや、その嫉妬《しっと》執着《しゅうぢゃく》の、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。
(可厭《いや》だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は轟々《ごうごう》と当る。ただ黒雲に捲《ま》かれたようで、可恐《おそろ》しくなった、凄《すご》さは凄し。
衝《つ》と、引潜《ひっくぐ》って、ドンと飛び摺りに、どどどと駈《か》け下りると、ね。
(袖《そで》や、止めませい。)
と宗山が二階で喚《わめ》いた。皺枯声《しわがれごえ》が、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた門口《かどぐち》で、しっかり掴《つか》まる。吹きつけて揉《も》む風で、颯《さっ》と紅《あか》い褄《つま》が
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