、舌は凍って、潮《しお》を浴びた裙《すそ》から冷え通って、正体がなくなる処を、貝殻で引掻《ひっか》かれて、やっと船で正気が付くのは、灯《あかり》もない、何の船やら、あの、まあ、鬼の支《つ》いた棒見るような帆柱の下から、皮の硬《こわ》い大《おおき》な手が出て、引掴《ひッつか》んで抱込みます。
空には蒼《あお》い星ばかり、海の水は皆黒い。暗《やみ》の夜の血の池に落ちたようで、ああ、生きているか……千鳥も鳴く、私も泣く。……お恥かしゅうござんす。」
と翳《かざ》す扇の利剣に添えて、水のような袖をあて、顔を隠したその風情。人は声なくして、ただ、ちりちりと、蝋燭《ろうそく》の涙《なんだ》白く散る。
この物語を聞く人々、いかに日和山の頂より、志摩の島々、海の凪《なぎ》、霞の池に鶴の舞う、あの、麗朗《うららか》なる景色を見たるか。
十九
「泣いてばかりいますから、気の荒いお船頭が、こんな泣虫を買うほどなら、伊良子崎の海鼠《なまこ》を蒲団《ふとん》で、弥島《やしま》の烏賊《いか》を遊ぶって、どの船からも投出される。
また、あの巌《いわ》に追上げられて、霜風の間々《あいあい》に、(こいし、こいし。)と泣くのでござんす。
手足は凍って貝になっても、(こいし)と泣くのが本望な。巌の裂目を沖へ通って、海の果《はて》まで響いて欲しい。もう船も去《い》ね、潮も来い。……そのままで石になってしまいたいと思うほど、お客様、私は、あの、」
と乱れた襦袢の袖を銜《くわ》えた、水紅色《ときいろ》映る瞼《まぶた》のあたり、ほんのりと薄くして、
「心でばかり長い事、思っておりまする人があって。……芸も容色《きりょう》もないものが、生意気を云うようですが、……たとい殺されても、死んでもと、心願掛けておりました。
ある晩も、やっぱり蒼《あお》い灯の船に買われて、その船頭衆の言う事を肯《き》かなかったので、こっちの船へ突返されると、艫《とも》の処に行火《あんか》を跨《また》いで、どぶろくを飲んでいた、私を送りの若い衆《しゅ》がな、玉代《ぎょくだい》だけ損をしやはれ、此方衆《こなたしゅう》の見る前で、この女を、海士《あま》にして慰もうと、月の良い晩でした。
胴の間で着物を脱がして、膚《はだ》の紐へなわを付けて、倒《さかさま》に海の深みへ沈めます。ずんずんずんと沈んでな、もう奈落かと
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